二十二話

『間違いじゃない』











自分はもっと強いと思っていた。

自分の心はもっとずっと強いと思っていた。








辛い経験をしたことがあるから。

悲しい想いを抱いたことがあるから。

そしてそんな経験と感情を抱いたからこそ、揺れず、揺らがず、動かず、動じず、常に冷静を保てる。








本当に…………本当にそう思ってた。








だから彼女の相談にも乗った。

だから応援もした。

だから彼女があの人を「お父さん」と呼ぶことに、何の感慨も抱かない。












──はずだったんだ。












本当は…………違った。








僕はそんなに強くなかった。








僕はまだ10歳の子供だった。








もっと大人だと思ってたのに。








もう大丈夫だと思ってたのに。








フェイトさんに助けられたときから……救われたときからもう平気だと思っていたのに。








やっぱり駄目だった。








僕は自分の心を偽って、欺いて、騙し続けてた。








彼女が“あの人”を『おとーさん』と呼ぶたびに、本当は羨ましかったのに。








彼女が“あの人”から頭を撫でられているのを見たとき、本当に羨ましかったのに。








あの人を……兄のように慕っている“あの人”を『父さん』と呼べたとしたら、どれほど嬉しいだろうかと考えてしまっているのに。








そして…………………………僕とキャロの保護者のフェイトさん。








僕達二人にとって家族であり、母親のようであり、姉のようであった人。








けれど今は………………母親な人。








最近、フェイトさんから言われた言葉を思い出す。








「私ね、二人の母親になりたいんだ」








「簡単に二人の“母親”になれるなんて思ってないよ。私はまだ20歳にもなってないし、子供だって産んだことも無い」








「でも、もう決めたんだ。二人との関係を曖昧なんかにしたくない。私はもう『保護者』であって、『家族』であって、『姉のようで母親のような人』は……嫌なんだ。私は二人の『母親』になりたい。『母親』だから、私はエリオとキャロの『家族』で『保護者』なんだって思いたい。だから今日から、二人の母親になれるように頑張るね」








言われた瞬間…………嬉しかった。








“この人”を『母さん』と呼べたらどれだけ嬉しいことだろう。








こんなにも優しい“この人”を『母さん』と呼べたら、どれだけ幸せなんだろう。














そう……思った。














でも














きっと僕は呼べない。












『その理由は?』












もし呼んでしまったら、あの時の想いを思い出してしまうから。












だから僕は、呼びたくて、呼びたくて、呼びたくても……………………呼べない。






















── My family ──


『間違いじゃない』




















「──ってことをフェイトさんが言ったんです」

「へぇ、フェイトがそんなこと言ってたんだ」

無限書庫での特訓が終了した後、いつものように談笑を交わすユーノとキャロ。

「そういうこと、私は特に気にしてなかったんですけど……」

「でも、まあ……確かにフェイトにとっては中途半端だったかもしれないね。家族だって思ってるのに、自分は二人にとって『母親』なのか、それとも『姉』なのか分からなかったんだから」

「それじゃ駄目なんですか?」

キャロが不思議に思ってユーノに訊く。
別に母親だろうと姉だろうと、家族は家族だ。
キャロはそう思う。

「それは僕には判らないことだね。家族にも色々な形があるんだから、そういう『家族』がいたってかまわないと思う。でも、フェイトは君たちの母親になりたいと願ったんだ。だからそのための努力もしてる」

お弁当を作ったりしているのも、その一環だ。

「たぶん僕達の家族の形は……少なくともフェイトが望んだ家族の形は、お父さんとお母さん、そして子供達っていう形なんだろうね」

これがフェイトの望んだ家族の形。

「キャロはフェイトのことお母さんって呼べる?」

「えっと……簡単に呼べると思いますよ。フェイトさんのことをおかーさんって呼んでも、別に嫌じゃありませんし、むしろ嬉しいです。それに最近、本当におかーさんみたいに思ってますから」

「エリオ君はどうなのかな?」

「エリオ君も大丈夫だと思いますよ。フェイトさんのこと、もともと姉か母親みたいに思ってるみたいですから」

このあいだ、そんなことを聞いた覚えがある。

「なら、平気かな」

特に何か問題があるわけじゃない。
フェイトの願いは簡単に叶うはずだ。















      ◇      ◇

















次の日。
昼食も終わり、久々に遺跡の資料でも集めようかな、と思っていた昼下がり。

──コンコン──

ユーノのところに来客が現れた。

「どうぞ」

いつものようにユーノは来客を入るよう促す。

「失礼します」

すると、覚えのある声が返ってきた。

「あれ? エリオ君じゃないか」

ドアを開けて入ってきたのは、ユーノにとって親交の深い少年。

「どうしたの?」

この時間はエリオだって訓練の時間のはずだ。
珍しいと感じて、ユーノが尋ねる。

「えっとですね、フェイトさんがユーノさんに探してほしい資料があるみたいです。それでちょうどそこに僕がいたんですけど、その時フェイトさんに『ユーノの仕事を見学か、手伝いさせてもらうのもいい経験になるよ』って言われたんです」

エリオがさきほどフェイトに言われたことを、そのままユーノに伝える。

「僕もユーノさんの仕事している姿って見たことなかったですから、手伝いたいなって思ったんですけど……迷惑でしたか?」

「僕がそんなこと思うわけないよ」

ユーノがエリオの不安を一蹴する。

「それで、どの資料を探せばいいのかな?」

「えっと、それはフェイトさんから──」

と、ここで司書長室に女性の司書が入ってきた。

「司書長。機動六課からの資料請求です。あと、同課から一名を研修として仕事の見学、または手伝いをさせてほしいと」

ユーノは司書から報告を聞くと、エリオに向かって笑った。

「どうやら、フェイトから請求が来たみたいだね」

エリオも笑い返す。
すると、二人のやり取りを見ていた司書が、

「……こちらが研修の方ですか?」

「そうですけど?」

「息子さんじゃないですよね?」

唐突な質問を司書がする。
言われた瞬間、ユーノが額に手を当てた。

「まあ…………あながち間違いじゃありませんけど」

前回のキャロの時と違って、完全に否定するかといえば、しようとは思わない。
けれど、やはり突っ込まれると何ともいえない感じがする。

「まあ、そこは置いておきましょう。そういうわけですから、この案件は僕が受け持ちますね」

「分かりました。では、失礼します」

司書は一礼すると、司書長室から出て行く。

「じゃあ、エリオ君…………ってどうしたの?」

ユーノがエリオを見ると、ほんの一瞬だけ何とも表現しにくい表情をしているのが見えた気がした。

「ユーノさん? どうかしました?」

けれど、エリオ自身は自分の表情の変化に気付いていないのか、それともユーノの勘違いだったのか、逆にエリオがユーノに問い返す。

「うーん…………いや、何でもないよ」

だからユーノは手を振って話を濁す。
エリオがそう言うのだったら、きっと自分の気のせいなのだろう。




























── 無限書庫 ──




エリオが宙に浮きながら魔法を使っていた。

「ゆっくりでいいよ」

ユーノがエリオに声を掛ける。

「初めて使う魔法なんだから、無理しないでいいからね」

「はい」

とは言うものの、すでに一杯一杯だ。
これ以上の無理などエリオには出来ない。
現状維持の速度で、エリオは検索魔法を使う。
そして十数分後、

「…………えっと………………あ! これかな」

ようやくお目当ての本を見つけ出した。

「じゃあ、次は読書魔法だね」

エリオは頷くと、次の魔法に取り掛かる。
そして魔方陣を展開すると、宙に漂っていた本が勝手に開く。

「少しずつでいいから読んでいこうね」

目を瞑りながら、エリオが首肯した。
ゆっくりと、本当にゆっくりとページが読み進められていく。

「………………………………」

無言のまま時が過ぎていく。
時折、司書達が微笑んでユーノとエリオの隣を通り過ぎていくが、エリオは司書達に意識を向ける余裕はなかった。


















「はい、お疲れ様」

ユーノが、今までエリオが読んでいた本を手に取る。

「……ふぅ……」

エリオは一度深呼吸をすると、ユーノに驚きの眼差しを向けた。

「検索魔法と読書魔法ってこんなに辛いんですね」

本当はもうちょっと簡単だと思っていただけに、この大変さは驚きだった。

「ようは慣れだよ。エリオ君だって僕みたいにずっと続ければ、すぐに僕なんて追い抜くって」

「いや、無理ですよ」

エリオは半ば呆れるように笑う。
どうもユーノは自身の力を計り間違えている。
エリオがどんなに頑張ったところで、ユーノに追いつくことは到底不可能だろう。
戦闘ではいずれユーノを抜けるかもしれないが、この件に関しては絶対に「無理」と断言できる。

──やっぱり、ユーノさんもすごいんだな。

今まで、なのはやフェイトの凄さはこの身で感じて思い知ってはいたが、ユーノのすごさは判らなかった。
キャロの特訓の様子を見ているときも、どれほど凄いのかは判断がつかなかった。
だが、今回ようやく分かった。
フェイト達とベクトルは違うが、ユーノもやはり天才と称することのできる魔道師だということを。

「僕がどうやったってユーノさんのレベルに行くのは無理です」

「そうかな? 僕ぐらいだったら──」

「無理です!」

ユーノの言うことを遮って、エリオは断言する。

「うーん……なら、そういうことにしておこうか」

渋々ながら、ユーノが引き下がる。

「フェイトさんから頼まれてるのは、あと二冊ですよね」

「そうだよ」

ユーノが頷く。

「じゃあ、僕が残り二つもやっていいですか?」

「もちろん、お願いするね」


















エリオが二冊目を終え、三冊目の本を読んでいる最中だった。
ふと、二人に近づいてくる人影がユーノに見えた。
ユーノは誰かと思い、視線を人影に向ける。

「ああ、フェイトか」

薄々来るような予感はしていたので、大して驚きもせずに彼女の登場を受け入れた。

「エリオの調子はどう?」

「あとちょっとで終了だよ」

小声で、エリオや他の司書達の迷惑にならないように話す。

「今回の資料、エリオ君のために選んだでしょ」

「分かった?」

いたずらが見つかった子供のようにフェイトが笑う。

「割と探し易そうなものだったからね」

それに、請求されたものはそこまで重要な資料とは思えない。

「エリオの見聞を広げるにはちょうどいいと思ったんだ」

「そういうことか」

「あと、偶には訓練以外のことをするのも気分転換になるよね」

「そうだね」

ユーノは納得する。
と、ここでエリオの周りを浮いていた本が閉じた。
そしてエリオは本を手で掴む。

「ユーノさん、終わりました」

「お疲れ様」

ユーノはエリオを労う。

「お疲れ様、エリオ」

「あれ、フェイトさん?」

いつの間にかユーノの隣にフェイトがいる。

「ちょっとエリオの様子を見にきたんだ」

言って、フェイトはエリオに笑いかける。

「それで、どうだった?」

「初めて使う魔法は楽しかったです。それと、ユーノさんがとんでもなくすごい人なんだってよく分かりました」

というより、実感させられた。

「それが分かってくれてよかったよ。それに、楽しめたみたいでもっとよかった」

フェイトの計画は十分達成できたと言える。

「今までユーノさんがどういう仕事をしているのかは知ってましたけど、やったことはなかったので新鮮でしたし、ユーノさんの大変さも知れてよかったです」

だからこそ楽しいと感じられたし、辛いとは思わなかった。

「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ」

ユーノは笑うと、エリオから本を受け取る。
そして魔方陣を展開すると、受け取った本がすぐさま本棚に飛んでいった。

「よし、これで今日の終了だね」

「エリオ、お疲れ様」

フェイトがエリオの頭を撫でる。

「だ、大丈夫ですって!」

逃げるようにフェイトの手から離れる。

「……嫌だった?」

少しだけショックを受けたように、フェイトが言う。

「いえ、その……僕ももう10歳ですから」

だから恥ずかしい。

だから照れくさい。








だから








だから








だから?








いや、違う。








──だけど。








だけど──


















      ◇      ◇


















「それにしても、エリオ君も大変じゃない?」

「何がですか?」

探した資料をまとめ、機動六課へと持っていくために三人は六課宿舎へと歩いていく。

「だって同僚はほとんど女の子なんだよね。偶には男だけで遊んだり話したい、って思わない?」

「……それは、まあ」

否定はできない。
特にキャロはあまり羞恥心がないようなので、時折困るときがある。

「エリオ君の周りには、絶対的に男の数が少ないんだよね。だから時々不憫に思うよ」

「どういうこと?」

「普通なら、もうちょっと男の人と関わってもいい、ってことさ」

フェイトの疑問にユーノが答える。

「だってエリオ君の近くにいるのは、ほとんど女性だろ。男なんて僕を含めたって、後はヴァイスさん、グリフィス君、ザフィーラさんぐらい」

「まあ、そうかな」

エリオと面識がある男性といえば、大体それぐらいだろう。

「10歳くらいになれば、羞恥心だって芽生えてくる。それに、やっぱり同姓といるほうが気安いしね」

「そういうもの?」

フェイトがさらに聞き返す。

「そういうもの。だって自分を鑑みてみなよ。フェイトだって基本的になのは達と一緒だったろ。僕だってなのはや君と話してはいたけど、気安いという点だとクロノだったよ」

「……うーん。確かにユーノの言うとおりかな」

自分も10歳の頃は、同級生の男の子達といるよりもなのは達といると楽だった。

「だからね、僕はもっとエリオ君と関わらないとな、って思ってるんだ」

「──えっ?」

エリオが驚いたようにユーノを見た。

「さっき名前を出した人達はエリオ君となかなか会えないだろうけど、僕は頑張れば融通が利くし」

徹夜覚悟で頑張れば、エリオと会うだけの融通は利く。

「まあ、本当は同年代の男友達が一番なんだろうけどね」

けれど、今のエリオに同年代の男友達はちょっと難しいだろうから、だから代わりに自分がたくさん関わってあげたい。

「で、でもそんなの悪いですし──」

エリオが申し訳なさそうに言う。
そんなエリオの様子を見て、ユーノは笑った。

「そんなもの気にしないでいいんだよ。これは前にキャロにも言ったんだけどね、君達は僕が大切にしてる子供達だ。だから『悪いな』とか『迷惑かな』って思うのは、もうちょっと後でいいんだよ」

それが子供の特権だ。

「あ、私も同じだよ」

フェイトが同意する。

「それに、二人の『迷惑かな?』は、迷惑の段階まで来ないんだよね」

こっちとしては、微笑ましいものだと感じる。

「だから、そんなことは思わなくていいんだよ。いいね?」

ユーノはエリオの目をしっかりと見て伝える。
エリオの表情は最初、戸惑うような感じがしていた。
けれど、ユーノの思いが伝わったのか、

「……ありがとう……ございます」

たどたどしくではあるけれど、エリオは頷いた。

















「あと、この三人でいるのも珍しいよね」

フェイトが新しく話題を提供する。

「いつもはキャロも一緒にいるから、僕とフェイトとエリオ君っていうのは確かに不思議な感じだね」

おそらく、この三人は初めてだろう。

「僕もなんかちょっと不思議です」

「ユーノさんと二人でいるのは時々ありますけど、ユーノさんとフェイトさんが一緒にいるときは、いつもキャロがいますから」

「まあ、そうだね」

基本的にエリオがいる時は、キャロがいる。
キャロだけの時は多々あるのだが、その逆はあまりない。

「けど、別に変じゃないよね。私はエリオのこと息子だって思ってるし、ユーノは私の…………恋人だし」

フェイトが照れながら言う。
ユーノはフェイトに何か言おうかな、とも思ったが、その前に彼女の執務室にたどり着いた。

「それじゃあ、資料を提出してくれる?」

「はい」

部屋の中に入ると、エリオがまとめた資料をフェイトが受け取った。

「これで今日の仕事は終了だよ」

「え? 今日はこれで終わりですか?」

「うん。お終いだよ」

「だってエリオ君、今日はかなり頑張ったからね」

ユーノがエリオの頭を撫でる。
いつもキャロにやっているように、ユーノはエリオの頭を優しく撫でた。
フェイトではなくユーノがエリオの頭を撫でる。
エリオの表情が笑顔になった。






だって、やってもらって嬉しかったから。






だって、心のどこかでやってもらいたいと思っていたから。






本当は……羨ましいと思っていたことだから。






ずっと、心の奥底で。






もっと……それこそずっと前から。






だから………………………………その瞬間だった。










──切っ掛けは。










嬉しそうなエリオの口から、ある一つの単語が漏れた。

「…………とう……さん……」

ポツリと……本当に自分が気付かぬうちに漏れてしまった言葉。

「エリオ君?」

一瞬、ユーノが疑問に思う。

「…………え……?」

ユーノが何に対して疑問を浮かべたのか、エリオは判らなかった。

「ユーノさん、どうしたんで……」

だが、

「────っ!」

すぐに漏らしてしまった単語を把握して、慌てて口を塞ぐ。
しかし、もう遅い。
エリオの思ったことは、口に出てしまった。

「…………あ、あれ…………なん……で……?」

口に出た言葉に、気付いてしまった想いに戸惑いを隠せない。
どうして言ってしまったのか、どうして思ってしまったのか。

「エリオ、どうしたの?」

フェイトが様子のおかしくなったエリオをいぶかしむ。
が、エリオの耳には全くといっていいほど入っていない。
一歩ずつ、ユーノとフェイトから離れていく。
そして3,4メートルほど離れた瞬間──!!

「………………っ!」

唐突に走り出した。

「ちょ、ちょっとエリオ君!?」

「どうしたの!?」

後ろからユーノとフェイトの声が聞こえるがかまわない。
エリオは全力でその場から逃げ出すように駆ける。
目的地なんて分からない。
決めてなんかいない。
けれど、今は一刻も早くそこからいなくなりたかった。


















      ◇      ◇


















「……エリオ、一体どうしたの?」

「少し……尋常じゃなかったね」

「……そうだね」

一言呟いたかと思ったら、唐突に……それこそ逃げるように駆けて行った。
何でこうなったのかは分からない。
が、考える暇なんてない。

「フェイト、探すよ!」

「うん!」

二人同時にエリオを探し始める。
駆け出した理由は分からない。
分かるはずがない。
けれど、もしエリオが何かの理由で傷ついたのだとしたら…………二人のやることは一つ。






エリオを支えること。















        ◇        ◇
















走って走って走って走って走って……………………ようやく止まる。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

たどり着いた場所は、少し前まで自主練をしていた場所。
そこにあるベンチにエリオは腰を降ろす。

「……………………くそ…………」

荒れていた息はすぐに整ってくる。
けれども感情は複雑に絡み、荒んだままだ。

「…………大丈夫なはず…………なのに…………」

もう吹っ切れていたはずだった。

「……大丈夫だと…………思ってたのに」

フェイトのおかげで、全部吹っ切れていると思っていた。

「全然…………全然駄目じゃないか!」

羨ましい、という感情があった。
呼びたい、という願いがあった。
それを見つけてしまった。

「これだけは抱かないと思ってたのに」

──大丈夫だと……思ってたのに。

結果はこれだ。
思ってしまった。
抱いて……しまった。
揺れて、動じて、冷静を保つことができなかった。






「……………………呼びたいよ…………」






もう、全部気付いてしまった。

──本当に呼びたい。

今まで接し方から、そう思ってしまったから。
そして今、彼らの行動を予想するだけで余計……思ってしまうから。

──きっとユーノさんとフェイトさんは僕のこと探してる。

あの二人なら、絶対に自分のことを探してくれている。
それを当然のように分かってしまう。
だから……だからこそ、さらに感じてしまうんだ。

二人のことを──








「エリオ君!」

「エリオ!」








少し息を弾ませながら、ユーノとフェイトがエリオの前にやってくる。
エリオはそんな二人の様子を見て、嬉しそうな……そして悲しそうなよく分からない表情をした。

「見つかってよかった」

二人はほっ、とした表情をするとエリオに近づいていく。
エリオは勝手に立ち去った非礼をわびるため、立ち上がりかける。
だが、

「いいよ。座ったままで」

ユーノがエリオを制した。
そしてそのまま二人は近づいていくと…………エリオを挟むようにベンチに座った。

「やっぱり走るのは辛いね。普段は空を飛んだり、司書の仕事をしてるからかな」

あはは、と笑いながらユーノは誰に言うわけでもなく、声を掛けた。

「もう少し体力をつけたほうがいいんじゃない? 昔よりも体力が落ちてるよ」

「やっぱりそうかな。これでも遺跡の調査を一人でやり遂げる体力は残してるつもりなんだけど……」

「それでも、だよ。なのはや私に比べたら格段に体力が落ちてる」

「頼むから君やなのはを引き合いに出さないでくれ」

ユーノとフェイトがくすくす笑いながら言葉を交わす。

「…………えっと……あの……」

その中で、一人会話に加われなかったエリオが困ったように口を挟む。

「何も……訊かないんですか?」

二人の前から逃げるように駆け出したことを。
その理由を二人は自分に訊かないのだろうか?

「エリオは何か訊いてほしいの?」

「……いえ……それは……」

分からない。
言いたい気持ちもあるけれど、言いたくない気持ちも確かに存在する。

「まあ、少しそれは置いとくとして。まず一番最初に言いたいのは、すっごく心配した」

突然目の前から逃げるように去ったのだから、当然心配した。

「……ごめんなさい」

「いいよ、怒ってるわけじゃないから」

別に怒る理由は何一つない。

「ただ、私とユーノが心配したのを知ってくれれば、それでいいよ」

フェイトはエリオの頭を一度だけ優しく撫でると、ユーノと視線を交わす。
ユーノがこくり、と頷いた。
十分な間は空けた。
これで少しはエリオも落ち着けたはずだ。

「ねえ、エリオ君」

「はい」

「言いたくなかったら、言わなくてもいいからね」

一度前置きをしてから、ユーノは質問をした。

「僕たちの前から逃げ出したのは…………さっき呟いたことと関係ある?」

ユーノが問うと、エリオは素直に頷いた。
フェイトのユーノの中で『やっぱり』という納得が生まれる。

「聞いてもいいのかな?」

もう一度、エリオが頷く。

「なら、聞かせてもらうね」

ユーノはそう言うと、エリオを真っ直ぐ見据えた。
フェイトもユーノに倣う。
エリオは二人の視線に少し緊張しながらも……声を発した。

「僕、キャロにはユーノさんのこと『お父さん』って呼ぶとき、『頑張れ』って言ったんです……」

『お父さん』と呼ぶことを怖がる少女を、応援したことがある。

「ユーノさんは知ってると思いますけど、キャロは誰にも『お父さん』って言ったことないから、怖いって言ってました」

だから頑張れ、と言った。

「でも、怖がってるのってキャロだけじゃないんですよ」

本当は、彼女だけに当てはまるわけじゃない。

「僕も本当は……怖かった」

自分も同じだった。

「何が怖かったの?」

「僕も本当はキャロと同じように…………二人のことを呼ぶのが怖かったんです」

でもそれは、キャロとは別種の怖さ。

「僕は父さんと母さんに捨てられたから……」

もしユーノとフェイトのことを『父』と、そして『母』と呼んでしまえば、また捨てられるんじゃないかと思ってしまう。

「クローンという理由で捨てられたから」

『他の人たち』とは違うと。
そう宣言されたから。

「だからフェイトさんに言われたのに、僕は──!」

声が段々大きくなる。
けれど気にしない。
気にすることができない。

「呼びたいのに……呼べないんです!」

怖くて、震えて、踏み出せない。

「本当はユーノさんとフェイトさんのことを…………」










──『父さん』『母さん』って呼びたい……のに。










だけど……呼べない。
大好きな人たちだからこそ、エリオは呼べない。

「…………エリオ君」

「怖いんです。親の温かさを知ってるから……だから失ってしまうのが怖いんです」

あの日、伸ばした手を掴んでくれなかった恐怖を未だに覚えている。
うな垂れるだけで、決して自分を取り戻そうとしなかった二人の姿を覚えている。

「……………………親なんて………………知らなければよかった」

温かさを知らなければ、失う怖さも知らなかった。

──そしたらきっと今頃……ユーノさんのことを『父さん』って呼んで、フェイトさんのことを『母さん』と呼べてたんだろうな。


















エリオが自分の過去を独白する一方で、ユーノは全く違うことを思う。

「僕はそう思わない」

「…………え……?」

ユーノの言ったことにエリオが反応する。

「僕はそう思わないって言ったんだ」

「どうして……ですか?」

「親の温かさを知ってるのは、決して駄目なことじゃないって思うからだよ」

そう、ユーノが言った瞬間だった。
エリオが食って掛かるように言い返す。

「そんなこと、捨てられた気持ちを知らない人が──!!」












けれど…………言い切ることはできなかった。

瞬間、何かが弾ける音がした。












「…………え……?」

「……フェイト」

ユーノが驚きの様相でフェイトを見る。
なぜなら、フェイトがエリオの言葉を遮って、彼の頬を叩いたから。

「…………フェイト……さん……?」

一瞬、何が起こったのか判らなかった。
エリオが左の頬に手を当てる。
叩いたフェイトの表情は、酷く悲しそうだった。

「それは……違うよ、エリオ」

──無理なんだよ。

エリオの言おうとしたことは、出来る出来ないではなく、無理。

「ユーノには…………親がいないんだよ」

フェイトやエリオ、キャロと違ってユーノに親と呼べる人は存在しなかった。

「そんな想いすら抱けなかったんだよ」

だから無理だ。

「親の温かさだって……知らないんだよ」

エリオの言うことは全部、親がいたからこその言葉。

「……ユーノ……さん……?」

まさか、という表情でエリオはユーノを見る。
ユーノはエリオの視線を受け止めると、ほんの少しだけ微笑んだ。

「フェイトの言うとおり、僕はエリオ君と違って親の温かさを知らないんだ」

記憶にもない。
体験でも覚えていない。

「だから君の恐怖を知ってあげることは出来ない」

どれほど怖かったのかを知ることは、ユーノには不可能。

「ただ、想像でしか君の恐怖を共感することが出来ないんだ」

これはキャロの時と同じ感想だ。
ただ、想像でしか共感できない。
これがユーノの正直な感想だ。
親がいないユーノ・スクライアの偽りなき感想。
そして、だからこそ思うことはある。

「けれど君は僕と違って『親』と呼べる人がいた。その事実は少なくとも良かったことなんだと思う」

いないよりは、少なくとも『いた』ほうがいい。
だってどれほど駄目な親だったとしても、それを反面教師にすることも出来るから。

「ちなみに、一つ言わせてもらうとね」

ユーノはフェイトに視線を向ける。
フェイトがこくり、と頷いた。

「フェイトだって君と同じなんだよ」

「……どういうことですか?」

エリオはユーノに疑問を向ける。

「フェイトは生まれた時から、母親から見放されたんだ。クローンの元であるアリシアとどこかしら相違点がある、という理由でね。だからフェイト本人が“体験”として母親の温かさを知ったのは、今のリンディさんからだ」

フェイトもエリオも、血の繋がった親からは見離されている。

「だから僕から見れば、本当にフェイトもエリオ君もよく似てるよ。生まれ方も…………生き方も」

ユーノがここまで言うと、エリオはフェイトを見る。
フェイトは少しだけ笑うと、エリオを真っ直ぐ見据えた。

「私はね……」

そしてエリオの心に届くように、心からの言葉を紡ぐ。

「確かに辛くて悲しいこともあったけど……それでもプレシア母さんの温かさを記憶だけでも知っててよかったって思う」

それは決して自分に向けた温かさじゃなかったけれど。

「今は本当にそう思うんだ」

フェイトは悲しむわけでもなく、辛かったというわけでもなく、本当に知っていてよかったと。
そうエリオに言った。

「……本当に……僕と同じ……」

生まれ方も、生き方も似通っている。
でも、それでも親がいて『よかった』と言える人が……目の前にいた。

「私はね。ユーノと同じことを思うよ」

別に恋人だから擁護するわけじゃない。
考えは同じだから、だ。

「エリオや私はユーノと違って『親』と呼べる人がいた。その事実は……少なくとも良かったことなんだって思う」

たとえ辛いことがあったとしても、だ。
そしてフェイトの言葉を受けて、ユーノがさらに続ける。

「父親の暖かさや母親の温もりを知っているのは、決して駄目なことなんかじゃないよ」

駄目なはずがない。

「君が両親のことを想っていたことは、決して間違いなんかじゃない」

間違ったなんて言わせない。

「間違ってるのは、親なのに子供を守らなかったことだ」

たかだかエリオがクローンという事実を指摘されたぐらいで、エリオを手放した二人に問題がある。

「……ユーノさん」

「エリオ君。僕は君が誰なのかを知ってる。どんな存在なのかも、どんな人生を歩んできたのかも聞いてる」

聞いて、知って、この瞳で本人を見ている。

「でもね。僕は僕が知ってる全てをひっくるめた上で、君にこう言うよ」

と、ここでフェイトの目があった。
彼女の視線の意図から、ユーノは申しなさそうに言い直す。

「いや……『僕達』は君にこう言うよ」

そしてユーノはエリオに微笑む。

「僕達は絶対に『エリオ』を裏切らない。クローンだというだけで世界が敵になるのなら、僕達は世界の敵になる。誰かが君をクローンというだけで奪い去ろうとするのなら、何がなんでも守り抜く」

決して諦めることなどしない。

「たとえ奪われたとしても……絶対に取り戻すよ。私達は必ず」

これは自信を持って言える。
ユーノとフェイトにとって、これは確信を持ってエリオに伝えられる。

「でも、僕は……クローン…………だから……」

「だから何だって言うんだ。僕はフェイトと付き合ってる男だよ。そんな些細なことを僕が気にすると思う?」

ユーノが笑いながらエリオの頭を撫でる。

「…………些細……ですか?」

「些細だよ。だって僕が気にすることは一生ないんだから」

前にもフェイトに言った。
本当に“たかだか”そんなことだ。

「当然、私にとっても些細なことだよ。私はエリオと一緒の生まれ方をしたんだから」

気にかけるような事柄じゃない。

「あの……けど……僕は…………」

これだけ言われているのに、あと一歩が踏み出せない。
心の奥底にある傷跡が疼く。
両親に捨てられた記憶が蘇る。

「…………エリオ……」

ユーノはエリオの肩を掴んで胸元に引き寄せる。
フェイトは二人の側に寄り添って、エリオの両手に手を重ねた。

「別に僕は『父親』と呼べ、なんて言わないよ。『父親』と思え、とも言わない。でもね──」

これだけは、知っておいてほしい。

「僕はエリオを大切に思ってる。娘であるキャロと同じように……同じくらい大事にしてる。それは忘れないで」

「私もエリオを大切に思ってる。私が娘と思ってるキャロと同じように、私はエリオのことを大切な息子だと思ってる」

ユーノもフェイトも断言する。
これは二人が生きていくうえで、絶対に揺るぐことのない想いと願いだ。

「私は母親として力不足かもしれない。母親というには、親としての在り方をまだ知らなすぎるかもしれない。けれど私は……君の本当のお母さんになりたいって心から思ってる」

知らなくても、分からなくても、母親になりたいって気持ちだけは本当。

「だから僕達は『絶対にこれだけはしない』って約束する」

大切なこの子に、これだけはしないと誓う。








「絶対にエリオを一人にしない」








これは唯一絶対だ。

「私はそのためにすごく頑張るよ」

かつて自分が同じことをリンディやアルフからしてもらったように、エリオにもしてあげよう。

「これ以上、エリオが辛い思いをしなくていいように」

大切な息子の心を守りたい。

「これ以上、エリオが悲しい思いをしなくていいように」

大事な息子の心を救いたい。

かつて一度、目の前の少年を助けたときと同じように──








「精一杯、エリオを愛すよ」








もう一度、心からの愛情でエリオを守りたい。





























不意に…………不意に、エリオの目から涙が零れ落ちた。
温かい気持ちで心が一杯になる。

「…………ぼく…………は………………僕……は…………」

──本当に大事にされてるんだ。

思い知らされた。

自分がどれほど大事にされているのか。

自分がどれほど大切に思われているのか。

ユーノに抱きしめられて、フェイトに手を握られて、余計に実感できる。

──大丈夫。

エリオはユーノの胸元にあった顔を上げる。
そして涙を手で拭うと、すぐ近くにある二人の顔を真っ直ぐ見た。


──この二人なら大丈夫。


たとえ、何かをしても──無条件で信じてもらえる。


絶対に、何があっても──信じられる。


きっと、どうあっても──愛してもらえる。




そして僕はずっとずっと……二人のことを大好きだって言える。




──だから。




だから──

「ありがとうございます」

今まで生きてきた中で、一番の笑顔と最高の言葉を二人に送ろう。

これまでは『ユーノさん』と『フェイトさん』だった二人に。

これからは『ユーノさん』でも『フェイトさん』でもないこの二人──
















「ありがとう。父さん、母さん」





















──僕の両親に。



























おまけ




「さて、エリオだったら分かってると思うけど、基本的に『父さん』と『母さん』禁止だよ」

ユーノがキャロにした注意をエリオにもする。
エリオは素直に頷いた。
が、フェイトは、

「あ、でも私はいつでも『お母さん』って呼んでほしいかな」

「フェイト」

ユーノが咎める。

「…………だって……」

「だって、じゃないよ。公私混同させないのは当然」

勤めているのであれば当然のことだ。

「でも、エリオは物分かりがいいよね」

「そうですか?」

「キャロには最初、少しだけ駄々こねられたからさ」

と、ユーノがここまで言うと、フェイトがジト目でユーノを見た。

「え? な、なに?」

「それはユーノのせいだよ」

「何のことさ?」

「ユーノがキャロを甘やかすからいけないんだよ」

「そうかな?」

ユーノがエリオに訊く。

「父さんがキャロに甘いのは絶対です」

あれで厳しくしてるというのなら……申し訳ないが呆れる。

「だから親バカなんだよね」

フェイトが断言する。

「それにキャロもちょっと……ううん、重度のファザコンだし」

「もしかしたら『おとーさんと結婚する!』って言うかもしれませんね」

エリオがフェイトの言うことに乗って冗談を言う。
すると、だ。
フェイトが突然ユーノの手の甲をつねった。

「い、痛いってばっ!」

「だってそんなこと、もしキャロが言ったら──」

「言わないって! それにエリオの冗談なんだから気にしないでよ」

抓られた手の甲をさすりながら、慌ててフェイトを諭す。

「…………むぅ……」

が、微妙に納得はいってないようだ。
すると、その空気を察したエリオが咄嗟に話題を変えた。

「そ、そういえば父さん、さっきから僕のこと『エリオ君』じゃなくて『エリオ』って呼んでますよね」

今更ながら気付いたようにエリオが言う。

「そういえばそうだね」

ユーノもエリオに言われて、ようやく自分の言葉の変化に気付く。

「嫌だった?」

「いえ、全然嫌じゃないです」

そのほうがより『家族』なんだって実感できる。

「なら、これからもエリオでいいね」

「はい!」

輝くような笑顔でエリオが返事をする。
それは年相応の、ただの10歳の笑顔で。

































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