第十七話
『踏み出した一歩、踏み出せない一歩』
その日、食堂でフェイトは雑誌を読んでいた。
「……………………」
それはもう、他には目をくれず一心不乱に手元に置いてある二冊の雑誌を読んでいた。
──えっと……。
今、フェイトが目を通している雑誌の記事には、様々な場所の詳細が書かれてある。
「ここは……ちょっと遠いし、ここは無理そうだよね。でもこっちは…………いや、駄目っぽいかな」
時折、ぶつぶつと独り言を言いながら雑誌を読み進めていくフェイト。
「あ! ここだったら結構近い…………けど、この場所だと誘う口実がない、か」
どうやら誰かと出かける算段をつけている。
とはいえ、その『誰か』とは無論のこと、
「やっぱりユーノと出かけるって考えると、どこ行っていいか分からないな」
無限書庫の司書長である。
「…………本当に難しい」
なんだかんだで、今までユーノを外出に誘う、ということをしてこなかった。
ユーノからは一度だけ……キャロのついでといった感じではあったが、街に誘われたことがある。
けれどフェイトからユーノを誘うといった行動は、今まで皆無だ。
たった一度もしたことがない。
10年来の知り合いなのにも拘らず、だ。
そう、お祭りだけじゃなかった。
誘ったことがなかったのは。
遊ぶときも、何かをするときも、自分から行動を起こしたことは無かった。
それをこのあいだのお祭りの日に、思い知らされた。
「だから…………」
だからこそフェイトは今、考えている。
ユーノと一緒に行きたい場所を自分が決めて、彼を誘う。
まあ、つまりは世間一般で言う……デートをするために。
と、その時だった。
パッ、とフェイトの手から雑誌が抜き取られた。
「──あっ!」
遠ざかっていく雑誌に手を伸ばすフェイト。
けれど雑誌の行く末を追っていくと、そこにあったのは、
「は、はやて……」
はやての顔だった。
「おはよう、フェイトちゃん」
はやてがさわやかに…………とは程遠いにんまりとした笑顔をしながら、フェイトに挨拶をした。
「どないしたん? そんなに一生懸命雑誌を読んでるなんて」
にやにやと、意地の悪い笑みをはやては浮かべる。
フェイトはその笑顔を見るや、いつものように恐怖を感じた。
だからすぐさまはやてから雑誌を奪いとり、体の後ろに隠してしまう。
「なあなあ、どうして隠したん?」
「と、特に意味はないよ!」
「ふーん」
流すように聞くはやて。
だが、
「で、誰と行く気なんや?」
案の定、ばっちりばれていた。
「な、なんのこと!?」
「なんのこと……って表紙に書いてあったやないか」
フェイトが後ろに隠した雑誌を指差してはやては言う。
「『今が旬のデートスポット100選』って」
どうやらはやては、フェイトが雑誌に集中しているあいだにバッチリと表紙を拝んでいたようだ。
「フェイトちゃんは誰とデートするんやろうね?」
その口調と表情から、誰のことを指しているのかは一目瞭然だったが、それでもはやては意地悪くフェイトに訊く。
「そ、それは……その……」
しかしフェイトは、赤くなりそうな顔を必死に制して落ち着きを取り戻そうとする。
いつもこのパターンでフェイトははやてにからかわれている。
つまり、ここで落ち着きを取り戻せばはやてのからかいを回避することも……。
だが、そこではやての視線がテーブルの上にあるもう一冊の雑誌を貫いた。
「へぇ、フェイトちゃんもファッションに興味を持ちだしたんやね」
「わ、私だって女なんだからファッションに興味ぐらい──」
「でもな」
はやてはフェイトの言葉を止め、トントン、と表紙のある一部分を指差す。
「ここに『意中の彼を釘付けにする魅惑のファッション!』って書いてあるやんか」
はやてが表紙にある記事のタイトルを目ざとく見つける。
「しかも特集やし」
マジマジと見ると『大特集』と書いてある。
「フェイトちゃんは、いったい誰を釘付けにするんかな?」
からかいを含めがらはやてが訊く。
いや、からかうことに全てを込めたはやての言葉が、フェイトに届く。
案の定、だんだん赤みが引いてきたフェイトの顔が完全に真っ赤に染まった。
「…………ぁぅ……」
つまり、完膚なきまでにはやての勝利。
フェイトをからかっていると、いつものように「用事があるから」と言って去っていってしまった。
去っていくフェイトの後姿を見ながらはやては、
「ふむ」
一人、納得するように相槌を打つ。
「完璧に恋する乙女の誕生やね」
しかも、今では滅多に見れないくらい純粋に恋をしている。
「まさか、フェイトちゃんがこれほど変わるとは……」
なんだかんだ、恋をしてるんじゃないか? という予感はあったとしても、数ヶ月前では考えられないくらいの変貌だ。
「世の中、分からんものやね」
一体全体、何が起こるか判らない。
「ただ……」
フェイトに変化を起こした人物なら分かっている。
「ユーノ君」
ぽつり、とフェイトを変えてしまった張本人の名前を呼ぶ。
「ちゃんと責任持たなあかんよ」
◇ ◇
夜、ようやく行きたい場所も決まった。
「……よし」
一つ気合を入れると、フェイトは電話を取り出し……電話を掛けた。
何度かコール音が鳴ると、意中の相手と繋がる。
『もしもし』
「あ、もしもし」
『珍しいね。君から電話してくるなんて』
「い、いつもはユーノから電話してもらってるから、今日は私から掛けようかなって」
『そっか。ありがとう』
電話越しでもユーノが笑顔になっているのが分かる。
と、ユーノが不意に話を切り出した。
『そういえば、今度ライトニング部隊って休みがあるんだよね』
「え? あるけど……どうして?」
『いや、キャロが「今度休みがあるんですよ」って言ってたんだけどさ……』
少しだけ遠まわしなユーノの物言い。
不意に、ある種の期待がフェイトの胸に渦巻いてくる。
『もしかして、フェイトはもう予定埋まっちゃってる?』
「ぜ、全然そんなことない。休みの日はまったく予定ないよ!」
フェイトは焦る気持ちを抑えて答える。
『僕もさ、君達に合わせて休みを取ったんだよ』
「そうなんだ」
唐突に、フェイトにチャンスが訪れた。
今日、朝から練っていたことを言うチャンス。
──落ち着こう。
フェイトは一度深呼吸をする。
チャンスだ。
紛れも無くこれはチャンス。
もう一呼吸おいて、そして……言うんだ。
「あの──」
『だから一緒にピクニックでも行かない?』
……しかし、フェイトの声はユーノの提案にかき消される。
「──え!?」
『いや、ピクニックに行かない? って訊いたんだけど……』
「ユ、ユーノと一緒に?」
『嫌かな?』
「そんなことない!」
自分から誘おうと思っていたが、実際は……逆になってしまった。
ユーノから誘われる形になった。
けれども結果としては、何も問題ない。
好きな人と出かけられるのだから、嫌だという想いは存在するはずがない。
『よかった。キャロの話を聞いてから、フェイトとキャロ、それにエリオ君と僕でピクニックにでも……って思ったんだ』
説明口調で、当然のごとく流れるユーノの会話。
その中に一つだけ……何故か引っ掛かったものがフェイトにはある。
「キャロと……エリオも?」
──チリ──
と、一瞬……ほんの一瞬だけフェイトの胸に何かが過ぎった気がした。
──なんだろ。
何かを感じたような気がしたが、気のせいだろう。
気を取り直して、ユーノとの電話に集中する。
『あれ? もしかして何か問題あった?』
「ううん。何もないよ」
『そしたら、いいかな?』
「もちろん」
『よかった……』
電話先であろうともユーノがほっ、としたのがフェイトには分かった。
『詳しい詳細はこれから連絡するってことでいい?』
「うん、お願いするね」
『分かった。それじゃ…………夜遅いし、あんまり長話しても悪いから、今日はもうおやすみ、だね』
「……うん」
『今度の休み、楽しみにしてる』
そうユーノが言うと、今まで繋がっていた電話が……切れた。
一息、フェイトが息を吐く。
「ユーノとピクニック……か」
当初と予定はまったく違う。
本当は、雑誌を必死に探して見つけた場所にユーノと一緒に行こうとしてた。
──でも、なんでだろうな。
誘われるほうが、何倍もうれしい。
『一緒に出かける』という点では同じなのに、誘われたほうがより一層、
「……うれしい」
それに、だ。
誘おうとした場所に“今回”行かないということは、次もある。
“次回”がある。
──次は、私から誘うんだ。
今回、自分が誘おうとしていた場所へ。
そうしたらまた、彼と一緒にいられる。
また、彼と一緒に過ごしていられる。
──ユーノの隣に……いれるんだ。
◇ ◇
切れた電話を見詰める。
「……よかった」
初めて、話の流れじゃない状態で誘えた。
「緊張……したな」
やはり、明確に彼女を意識し始めると何もかもが違ってくる。
ただ誘うだけなのにもかかわらず、緊張が生まれる。
「キャロもエリオ君もいるんだけどね」
二人で出かけるわけでもないのに、緊張した。
「もし……二人で出かけられるときがあるとしたら、もっと緊張──」
ユーノはその時を考えて……苦笑する。
『その時』などあるのだろうか。
今、自分が考えたことを実行するとなると、まさしくデートだ。
──……ありえない。
今でも覚えている。
お見合いをする、と言ったときの彼女の反応。
彼女の応援。
だから期待はしない。
望みはしない。
期待しなければ、失望はないから。
望まなければ、後悔はないから。
希望は……持ちたくない。
◇ ◇
出かける当日、機動六課宿舎の前でフェイトとキャロとフリード、そしてエリオはユーノを待っていた。
「そろそろかな」
時間的にはもう着てもいい頃だ。
フェイトはユーノが来るであろう道を見据える。
「えっと……あれ、かな?」
遠く、まだ人相が把握出来ないほど遠くに人影が見える。
が、段々と近づいてくるにつれて把握できた。
「やっぱりユーノだ」
手を振って近づいてくるのが分かる。
しかし、何故か一瞬だけ止まる。
「──あれ?」
どうしたのだろう、と一瞬フェイトは思ったが、次の瞬間、ユーノは何も無かったかのようにまた歩き始めた。
「ごめん、待ったかな?」
「いや、私達も少し前に来たばっかりだから」
ね、とフェイトは二人に確認をする。
キャロとエリオは頷く。
「ならよかったよ」
安心したようにユーノは言うと、
「そしたら、すぐに行こう。お昼までに着いておきたいからね」
全員を促した。
「おとーさん!」
歩き始めてすぐ。
キャロはユーノの隣に駆け寄ると、声を掛ける。
「どうしたの?」
「今日はずっと呼んでも大丈夫ですよね」
「ずっと?」
「今日は一日中『おとーさん』って呼んでいいんですよね」
ニコニコと、それこそ輝くばかりの笑顔でキャロは言ってくる。
だからユーノはキャロの問いに、頭を撫でる、という行動で答えた。
「えへへ」
キャロにとってはユーノのことを朝から『お父さん』と呼べるのがうれしいのだろう。
今まではユーノとの約束で、自由気ままに言えていたわけではなかったのだから。
一方、そのやり取りを傍から見ていた人物がいた。
「お父さん……か」
予めユーノから聴いていたこととはいえ、驚きに値するのは確かだ。
──お父さんのユーノに、娘のキャロ。
親子の二人。
そして一緒にいるのがフェイトとエリオ。
もともと、フェイトとキャロ、エリオの三人は家族のようだった。
けれども明確なポジションというものはなく『保護者と子供達』というのが、一番しっくりきた表現である。
しかし、ユーノが来てからは違う。
キャロはユーノを父親として慕っている。
ユーノはキャロを娘として可愛がっている。
家族として明確な形が出来始めている。
──そうなると私は……お母さんかな。
もともと、自分としてはそのような“感じ”で二人には接してきている。
──けど、そしたら私はユーノの……。
ちらり、とフェイトはユーノの顔を覗く。
不意にユーノと視線があった。
「ん? どうかした?」
「な、なんでもない!」
慌てて顔を背ける。
まさか想像してたなんて言えない。
自分とユーノが夫婦の様を想像していたなど。
フェイトは赤くなる顔をユーノから隠す。
無論理由は…………恥ずかしかったから。
◇ ◇
およそ1時間30分くらいで、目的の場所に着く。
「うん、やっぱり綺麗な場所だ」
4人の視界に広がるのは、鮮やかな緑が一面に映る広場と木々。
そして川が流れている。
「……すごい」
「ほんとだね」
エリオとキャロが感想を述べる。
「こんな綺麗な場所が近くにあったんだね」
「うん。こないだ雑誌で見つけてね、皆で来てみたいと思ったんだ」
「そうなんだ」
ユーノとフェイトはビニールシートを敷いて、腰を降ろす。
「とりあえず最初はお昼にしようか」
ユーノは今にも飛び出していきそうなキャロとエリオを呼ぶと、二人をシートへと座らせる。
フェイトはその間にお弁当を取り出し、眼前へと広げる。
「お昼はフェイトが作ってくれたんだよね」
「うん」
「何を作ってくれたの?」
「ピクニックって聞いたから、サンドイッチにしたんだ」
フェイトがフタを開ける。
すると入っていたのはフェイトが言ったとおり、多種多様の具が挟まっているサンドイッチだった。
「うわぁ、おいしそうですね」
「ほんとう、すごいおいしそう」
目の前に出されたフェイトのサンドイッチに、二人は興味深々だ。
「そんな、別に普通の味だよ」
フェイトが謙遜する。
だが、
「いや、けど実際おいしそうに見えるからね」
ユーノも二人に倣って肯定する。
「食べてもいいかな?」
ユーノが許可を求めると、フェイトが首を縦に振った。
三人はフェイトの首肯を見ると、手を合わす。
「いただきます」
「「いただきます!」」
そして同時にサンドイッチに手を出した。
「ど、どう?」
恐る恐るフェイトが尋ねる。
「おいしいです!」
「おいしいですよ!」
「おいしいよ」
三者三様、全員から褒め言葉が返ってきた。
「よかった」
心底安心したようにフェイトが言う。
「三人とも、たくさん食べてね」
数分後、あっという間に三人はフェイトの作ったお弁当を食べきった。
そして食べて間もないのにも関わらず、
「僕達、遊んできてもいいですか?」
エリオがユーノとフェイトに向かってそんなことを言ってきた。
「いってらっしゃい。僕はここでのんびりしてるから」
ユーノはいってらっしゃい、と手をヒラヒラと振る。
フェイトも同意見だったようで、隣で手を振った。
「それじゃあキャロ、フリード。行こう」
二人の了承が得られると、エリオとキャロ、そしてフリードは連れ立って川へと走っていく。
「お弁当、評判良かったね」
「本当。おいしいって言ってくれて嬉しかった」
「頑張った甲斐があったんじゃない?」
「そうだね。その節はユーノに感謝してるよ」
何度かユーノに試食してもらったことがある。
それが今日のサンドイッチにも活用された。
お互い、二人が喜んでくれたことに顔を見合わせて笑う。
そして川の近くで遊んでいる二人と一匹にユーノとフェイトは視線を向けた。
「楽しそうだね」
「うん。すごく楽しそう」
「溜まった疲れやストレスは、こういう場所で発散してくれたらいいけど」
二人とも、見えない疲労やストレスというものは溜まっているだろう。
わずか10歳の子供が管理局で働いているのだから。
「そうだね。それもあって皆を連れてきたんだ」
ユーノも二人がこうやって遊んで、疲れを取ってくれれば、と思う。
「でも……」
「ん?」
ふと、フェイトは呟く。
「本当は、ああやって遊んでるのが普通なんだよね」
「……そうだね」
ああやって遊んでいるのが、あの子達には一番似合ってると思う。
「だからやっぱり……心配だよ」
心の底からフェイトは心配する。
まるで“母親”のように。
そう。
こうやって子供達といることで、やっぱり思うようになる。
子供達と出かけて、お弁当を作って、心配して。
そして、こう思うことが“母親”なんだな、と。
フェイトは少しだけ実感した。
けれど本来、フェイトはただの19歳だ。
普通に考えたら子供を持つには少しだけ早い。
ならばどうやってフェイトは今、実感を持ったのか。
という疑問が生まれる。
それを解決するには……身近にある例を一つ挙げるとしよう。
ユーノは何も知らなくても……それでもキャロの父親になった。
少しずつ距離を縮めていって、想像上でしか知らないとしても、お父さん“らしい”行動をキャロにしていった。
そして二人は長い時間を掛けて信頼し、信愛し、尊敬し、父としての在り方と娘としての在り方を知っていって…………覚えていった。
だからだろう。
いつの間にか、フェイトの知らない間にユーノはキャロのお父さんになっていた。
お父さん“みたい”ではなく、『お父さん』に。
それはフェイトにも当てはまる。
フェイトが知っているのは、アリシアの優しく微笑んでいる母の姿。
ただ、自らが経験しているわけでない。
経験しているのは、リンディという母親を持ってからだ。
そしてもう一つ、気になることがある。
いや……これが一番重要事項だ。
自らがお腹を痛めて子供を産んだことがない。
なのに、そんな自分が……言えるわけがない。
『母親』だと宣言してすぐに『母親』になれると、自分で思えるわけがない。
普通は自らの母親を鑑みたり、自分の裡にある母性を信じて行動してみたりする。
でも、もし……一番必要な時期に母の記憶が途切れていたとしたら?
子供が自分で産んだ子供ではないのだとしたら?
つまり、フェイト・T・ハラオウンという女性が、自分は二人の『母親』であるということを“今”この時点で、自信を持っているのか?
いや、むしろ母親とはなりたいと思って簡単になれるものなのか?
……そんなの、なれるわけがない。
なれるはずがない。
確かになりたいという気持ちは必要だけれども、『簡単』になれるわけがない。
けれど、家族としての信頼関係を築いてきたフェイトだからこそ“少しだけ”実感できたのだ。
ならば、もっと母親としての実感を得るには?
明確な位置に立って接するのが一番だろう。
ユーノは途中から完全に父親としての位置でキャロと接していた。
だからフェイトも姉のようで、母親のような……ではなく、母親として接するべきだ。
もし二人に『お母さん』と呼ばれたいのなら。
そしてユーノと同じように、母親と子供として、寄り添ってお互いを理解していくこと。
子供の成長と子供の信頼が、母親としての自覚と在り方をフェイトに覚えさせる。
そう……子供が成長するのと一緒に母親というものを自覚していける。
自覚させられて、思い知らされて、気付かされることがたくさんある。
子供達の母親に、自分は本当になりたいんだということ。
子供達の成長は、自分が予想しているよりも早いこと。
子供達への接し方、育て方と子供への『愛し方』はまったく別だということ。
──だからなりたいんだ。
二人の本当の母親に。
長い時間を掛けて、二人と一緒に家族として信頼を育んできたから、“次も”二人と一緒に母親としての在り方を知っていきたい。
母親“みたい”ではなく、『母親』に。
──まだ未熟だけど、エリオとキャロと一緒に歩んでいって、お母さんって……呼んで欲しいんだ。
二人を見詰めながら、フェイトは願う。
“いつか”でいいから、『お母さん』と呼んでほしい、と。
「ねえ、フェイト……」
すると、考えに耽っていたフェイトにユーノは声を掛けた。
「僕はね、そこまで心配してないんだよ」
「……え?」
「前にも言ったけどね。戦闘に関しては、フェイトがいるから心配してない」
一度、キャロを背負って送っていくとき、言ったことがある。
その時はおどけた感じで言いはしたけど。
「君が…………お母さんが、二人を守ってくれるから」
──だから安心して、僕は後ろにいられるんだ。
そう、ユーノは付け加える。
フェイトは不意に……泣きそうになった。
──どうしてかな。
どうしてユーノは時々、私が欲しい言葉をくれるんだろう。
「うん。私が……守るよ」
私が本当に欲しい言葉を……くれるんだろう。
そして二人は、また別の話をいろいろとした。
普段、あまり長い時間は話せない。
だからこそ、ずっとずっと二人は話していた。
けれど、だ。
ある話が終わるとフェイトが小さくあくびをした。
「もしかして、眠い?」
「そうかも。最近ちょっと眠りが浅くて、あまり眠れなかったし」
「なら、寝ちゃっていいよ。君だって疲れてるんだから」
シートをトントン、とユーノが叩く。
「えっと……いいの?」
「いいよ。君だって僕には休んでほしい対象だよ」
「それなら、甘えちゃうね」
ユーノに言われたとおり、フェイトは素直にシートに寝転がった。
「やっぱり少しは無理してたのかな」
「ん? それはフェイト自身が一番よく分かってるんじゃない?」
ユーノがフェイトの呟きを返した、そのときだった。
不意にユーノはあることを思い出した。
「そういえばさ」
横になっているフェイトに、一つ知りたいことを訊く。
「フェイトはどうやって僕が無理してるって分かったの?」
昔から気になっていたことを、ユーノはフェイトに尋ねてみる。
「うーん、とね」
ユーノの問いにフェイトは少しだけ悩んだ。
が、すぐに答えを出す。
「なんとなく、だよ」
「なんとなく?」
不思議そうにユーノが訊く。
「うん。自分でもどうしてか分からないんだけど、不意にユーノが無理してるなって思うときがあったんだ」
本当に……それこそ唐突にだ。
「それで、いつも自分の直感を信じて無限書庫に行ってみたら、毎度のようにユーノが倒れてた」
だからどうしてか、と問われると難しいものがある。
「そうなんだ」
ただ、フェイトの説明でユーノは納得したようで、それ以上何も訊きはせずに、
「ありがとう。それじゃあ、ゆっくり休んでね」
それだけを言った。
数十分後。
「…………ん……」
フェイトが寝入る。
ユーノはフェイトが完全に寝たのを見届けると、子供達と彼女に向けていた視線を手元にある本に向けた。
「さて、と……」
子供達は遊んでいるし、フェイトは寝ている。
なら自分は本でも読んでのんびり……と、そこでフェイトが何かを探していることに気がついた。
「どうしたんだろ?」
手をあちらこちらに差し出している。
「もしかして枕でも探してるのかな?」
頭の周りを探しているので、おそらくはそうだろう。
「何か枕の変わりになるものってあったっけ?」
少し周囲を探すユーノ。
だが、なかなかに見つからない。
と、その時だった。
フェイトの手がユーノの太ももを探り当てた。
「──え!?」
フェイトが何度か叩く。
するとどうやら納得いったようで、そのまま頭をユーノの太ももへと持っていく。
「な!? ちょ、ちょっとフェイ──」
フェイトを起こさないように退けようとするがもう遅い。
彼女は頭のポジションを確保し、すでにユーノの太ももに頭を乗っけていた。
「………………すー……」
しかもすでに満足そうに寝てしまっている。
「フェ、フェイト!?」
無駄かな、と少しばかり思いながらも、一応呼びかけるがやはり反応は無し。
「…………しょ、しょうがないな」
パタン、と開いていた本をユーノは閉じる。
次にキョロキョロと周囲を見回した後、マジマジとフェイトを見た。
普段と“違う”格好であるフェイトを見た。
そしてユーノは、自分のふとももに頭を乗せて安心したように寝ているフェイトに向けて言った。
「すごく……綺麗だよ」
普段と違うフェイトの姿。
それはもう、目が奪われると言っても過言ではなかった。
朝、フェイトと会った瞬間に少し足が止まったのもそのためだ。
「本当に……綺麗だ」
もう一度、呟くように言う。
けれどもユーノは、言ってしまった後に少しだけ……後悔した。
「ホント弱虫だな、僕ってやつは……」
少しだけ自傷するようにユーノは呟く。
「……君が寝てないと、本音も言えないんだよな」
ドレスの時も、お見合いの後も、そして今も……大事なことだけは本人に伝えていない。
この瞬間も、またいつも通りだ。
一番大事な本音を言えない。
「だからまた今回も……君が寝てる間に言うね」
ユーノはさらに言葉を続ける。
「僕もいつか……フェイトが無理してるのを分かってあげられたら、って思う」
さきほどの会話を思い返す。
近い未来でなくていいから……『いつか』でいいから、分かりたい。
「今はまだ……完全に君が無理しているのを分かってあげることは出来ないけど」
そんなことは、分かりきっている。
「それでも支えたいから……」
ただこれだけは、望ませて欲しい。
「それ以上は…………望まないから」
自らのエゴだとしても、くだらない望みだとしても……それだけは望みたい。
本当はもっとたくさんの願い事があるのにも拘らず、だ。
──本当は……もっとたくさんあるよ。
でも、きっとそれは望めないことだろうから。
だから、これだけでいいから望むんだ。
──それも……駄目なのかな。
今、この瞬間を……彼女の人生のほんの一瞬だけでいいから、自分と一緒にいてほしいと思うのは我侭だろうか。
好きな人と少しでも一緒にいたいと思うのは身勝手だろうか。
彼女が好きな人と添い遂げる……その狭間の瞬間を、自分に使ってほしいと思うのはあまりに大逸れた願いだろうか。
「実際……どうなんだろうね」
呟く。
まるで……誰かに問うようにユーノは呟いた。
しかし、答えが返ってくるはずはなかった。
答えを知っている人物は今……夢の中なのだから。
◇ ◇
夕方、そろそろ時間も程よい頃だ。
「フェイト…………ねえ、フェイト」
肩を叩いてユーノはフェイトを起こす。
「…………ん……?」
「そろそろ帰るから、起きて」
フェイトの真上からユーノの声がする。
そのことを不思議に思ってフェイトが目を開けると……。
「おはよ、フェイト」
至近距離にユーノの顔があった。
「………………なっ!?」
瞬間的にフェイトの顔が沸騰した。
「え、あの、その、なんで、どうして!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ」
テンパッているフェイトをユーノは宥める。
「ほら、枕代わりになってただけだからさ」
フェイトの顔のすぐ横をユーノは叩く。
「…………まくら……?」
横を左右を見て確かめてみる。
左にはユーノの足。
右にはユーノの体。
つまり自分が枕にしているのは……ユーノの太もも。
「ご、ごめんね!」
慌ててフェイトは飛び起きる。
「痛くなかった?」
「大丈夫だよ。フェイト軽かったし」
トントン、と太ももを叩いてアピールする。
けれどフェイトは余計に顔を赤くした。
──ユ、ユーノがやってくれたのって、ひ、膝枕……だよね。
実際に見たことなど、マンガ雑誌やドラマでしかない膝枕。
それを自分がやってもらった。
──は、恥ずかしい。
さらに顔が赤く染まる。
夕方でもなければ、絶対に顔を背けているところだ。
「ユ、ユーノがしてくれたの?」
「いや、君が枕と間違えたんだよ」
「わ、私が!?」
衝撃の事実にもう沸騰寸前だ。
けれど幸い、綺麗に染まった夕焼けは完全に沸騰しそうなフェイトの赤さまでも隠してくれた。
だからユーノは気付かずに子供達の方へ向いた。
「とりあえず、あの子達を呼んじゃうね」
ユーノが大声でキャロ達の名前を呼ぶ。
すると二人と一匹が反応して、駆け足で帰ってきた。
フェイトもそれまでに赤くなった顔を何とか元に戻す。
「もう帰るんですか?」
「そうだね。今日はもう帰らないと」
「……そうですか」
少しだけ寂しそうにキャロが言う。
それをユーノは察すると、
「大丈夫。また次の休みの日にどこか連れて行ってあげるから」
「ほんとうですか?」
「ホントだよ。次は……そうだ。君達が考えたらどうかな?」
「僕達が?」
「うん。君達が、だよ」
ユーノがフェイトに目でフェイトに合図を送る。
すると顔の赤みが完全に引いたフェイトがこくり、と頷いた。
「私とユーノは、エリオ達が行きたいって思った場所に一緒に行くよ」
ユーノに次いで、フェイトも笑った。
すると子供達二人の顔がはじけるような笑顔になった。
「じゃあ……そのときまでに、私達考えます!」
元気よくキャロは言うと、エリオの方へと向いた。
「ね、エリオ君!」
「うん!」
エリオも力強く返事する。
ユーノとフェイトは、それを見てまた微笑む。
「それじゃあ、帰ろうか」
また次のために。
次、また別の場所で遊ぶために。
今日は帰ろう。