第十四話
『見続けていたい想い』
お見合いの前日の夜。
正確な詳細が一方的にメッセージとして届いた。
場所、時間、相手。
今までくわしく分かっていなかった情報がようやく手に入った。
そして結果として──今この瞬間、ユーノの目の前にはまったく知らない人が座っている。
──この人がお見合い相手か。
管理局の小将の次女。
それがユーノのお見合い相手。
ユーノは目の前にいる女性を見る。
──綺麗な人だな。
今まで自分が見てきた女性と比べてもなんら遜色のない女性。
整った顔立ちに、すらっとしたプロポーションにはただ感嘆が漏れる。
年齢も自分と同じだったはずだ。
と、不意に彼女と目が合った。
目が合うと彼女は柔らかな表情でユーノに微笑む。
ユーノも礼儀として笑い返した。
するとただ、それだけのやり取りなのにこの女性は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「大丈夫ですか?」
「いえ、あの……このような席は初めてなので緊張してしまって」
「そうですか」
ユーノは穏やかに笑った。
──純粋でかわいい人だ。
おそらく生粋のお嬢様なんだろう。
親に大切にされ、世間の駄目なところを知らない。
ただ蝶のように、華のように育てられたお嬢様。
名家で生まれ育ったからこそ、持っている微笑と穏やかな感情。
唐突に決まったお見合いに何の違和感も持ってはいない、ある意味豪胆な性格。
彼女の放つ気配が、そうだということを言っている。
そう……そしてそんな彼女だからこそ、
──メリットはどちらにもある。
ユーノがお見合い相手と結婚すれば、管理局の少将という後ろ盾が出来る。
もともとリンディ、クロノなどの後ろ盾があるとはいえ、さらに強固になることは間違いない。
さらに目の前の美しい女性と結婚できる。
そして向こうにはミッドチルダ考古学士会の学士であり、そして無限書庫の司書長である自分が息子に、そして夫となる。
自分で言うのもなんだが、少将の娘の相手として自分は地位的にも不足ではないだろう。
自らに親が存在していないとしても、問題はないはずだ。
けれど、それら全てを排他して考えてもきっと………………きっとこの人となら幸せになれるという確信がユーノにはある。
ほんの少しのやり取りだけど、ユーノはそう思う。
彼女のように御しとやかな女性を妻にする人は、絶対に幸せになれるだろうし、幸せになるだろう。
目の前の女性を妻にし、子を産んでもらい、穏やかに二人で生涯を過ごす。
それはとても魅力的のように思える。
誰もが理想とするような生活が…………そして幸せがほんの少し手を伸ばすだけで手に入る。
いとも…………………………簡単に。
くす、とユーノは笑う。
──でも、無理だ。
どれだけ理想の生活が待っていようとも、どれだけ魅力的な人生が待っていようとも……駄目だ。
手をほんの少し伸ばすだけで幸福が待っていたとしても……嫌だ。
この女性は…………………………彼女じゃないんだから。
どれほど素晴らしい女性だと感じ取れても、目の前の女性は彼女じゃない。
僕が好きな女性じゃないんだ。
フェイトじゃ…………ないんだ。
ユーノは思い返す。
──もう…………いつからかな。
いつからフェイトを好きだったんだろう。
気付いたのは……ごく最近。
フェイトのことを好きだと気付いたのは、本当にこの間だった。
キャロのことでよく話すようになってから。
それが気付いた切っ掛け。
けれど、
思えば、無限書庫で勉強していた時からだった。
フェイトのことを意識してたのは。
あの時はなのはのことが好きだと思っていたから、心に浮かんだ感情を偽って消してた。
いや…………気付かないふりをしてた。
『僕はなのはが好きだから』
そう思い込んで。
でも、今ならはっきり分かる。
きっと僕はあの頃からフェイトのことが……好きだった。
彼女の優しさ、彼女の美しさ、彼女の仕草。
何事にも全力で取り掛かるところ、喜怒哀楽の感情を素直に出すところ。
彼女といる空間、彼女と過ごす時間が……好きだった。
その一つ一つが好きだった。
そして何よりも──
純粋なフェイトの心が好きだった。
……だから今までの日々を振り返ると、本当に馬鹿だったと思う。
なのはとの絆に縋っていた自分が。
その絆を勘違いした自分が。
本当に馬鹿で愚かしかったと思う。
でも…………だからこそ──
──もう、間違えない。
遠回りもしたし、勘違いもした。
もう遅いかもしれないけど…………それでもやっと気付いたんだ。
──絶対に、この気持ちを見失いたくない。
だから、言わないと。
今、目の前の人たちに、僕の真実を。
「皆さんに……言わなければならないことがあります」
一息、ユーノは息を吸ってから厳かに言う。
静寂な雰囲気の中、もうお見合いを始めようという最中に、ユーノは声を出した。
「僕には……………………好きな人がいます」
お見合い相手に、仲人の人に……ユーノは紡ぐ。
「心から好きな人がいます」
大事に紡いだ言葉を、浸透させるように少し間を開けた。
すると仲人の人から問うような視線がある。
「ああ、勘違いしないで下さい」
自分が好きだ、と言ったからといって間違えてはいけないことがある。
「彼女は僕のこと、なんとも想ってないですから」
ユーノは笑う。
きっと彼女は何とも想ってはいない。
このあいだ、言われた言葉からもそれは明白だとユーノは思ってる。
「だから彼女への想いを捨てて、あなたと夫婦になれば……きっと幸せになれると思います」
目の前の女性と夫婦になれば、万人が望むような幸せが待っている。
「きっと何不自由なく、幸せになれるでしょう」
想いも、力も、願いも……どれもが相応に得られる。
「今……少し顔を合わせただけで、そう思いました」
と、ここでユーノは一間だけ置いて、全員を見据える。
ここにいる人々全員はきっとユーノの言葉から類推して、お見合いは滞りなく進むものだと思っている。
「でも…………」
だからこそ申し訳ないと思う。
「どうしようもないくらいに叶わないとしても………………好きなんですよ」
自分の想いを消すことなど考えられない。
そんなことをしようとも思えない。
……………………自分には出来ない。
「最近……やっと気付いた想いなんです」
自らを欺き、偽り、理解しようとしていなかった自分がようやく気付いた想い。
「だから捨てることなんて……出来ません」
可能性が無くても、ようやく見つけられた想いなのだから。
「今、皆さんはきっと呆れていることでしょう。見込みの無い人を好きになっている僕に」
表情を見ればそう思う。
余りに無駄で、無為で、無情な道を進もうとしている自分に、
「そして、想いを捨てることが出来ない僕に」
何よりも呆けている。
無理ならば諦めればいい。
駄目ならば捨てればいい。
けれど片方は出来て、片方が出来ない自分。
もう、諦めてはいる。
でも、捨てられない。
それがあまりにも意味などなくて、可能性などなくて、後悔ばかりだとしても捨てられない。
「けれどね…………僕は馬鹿でいいんです。いずれ彼女に好きな人が出来るまで、いずれ彼女に愛する人が出来るまでは……僕は彼女を見続けていこうと思ってます」
分かってる。
馬鹿なこと言ってるって。
知ってる。
どんなに阿呆なことを言ってるのかって。
──だけど。
もう少し……彼女に好きな人が出来るまでは、持っていたい。
「見続けて……いたいんです」
たとえ
「たとえ、それがどんなに……………………辛くても」
彼女が好きだから、抱いていたいと思う。
やっと分かったこの気持ちを抱き続けていたいと思う。
「だって…………………………約束したんですよ」
右手の小指を前に出して微笑む。
他の誰でもない、彼女と約束をした。
「彼女を支えることを」
小指同士を絡ませて、約束をした。
「願ったんですよ」
辛いときに彼女が、もう無理をしなくていいように。
「彼女に頼られることを」
彼女の負担が減ることだけを、願った。
「そして………………………………誓ったんです」
あの時、はにかむように笑う彼女に誓った。
「彼女の心を絶対に守ることを」
神にも、魔王にも、天使にも、悪魔にでもなく、
「他の誰でもない……自分自身に」
ただ、誓った。
「それは彼女の想いが僕に向いていなくても、関係ありません」
相手の想いによって変えられるものじゃない。
そんなことで揺るぐ誓いじゃない。
「僕が自らに刻んだ……揺るぎない誓いなんです」
ただ一つ、ただ一度……あの瞬間に交わした、最も大切な誓い。
「ですから、申し訳ありません」
唖然としている人たちにユーノは告げる。
「今回の縁談は、断らせていただきます」
◇ ◇
結局…………ユーノがどこで、いつお見合いをしたのか分からなかった。
調べたけれど、全然…………分からなかった。
時間だけが過ぎていって、もう夜になる。
「もう、終わってるよね」
この時間だ。
きっとお見合いは終わってることだろう。
「どうなったの……かな?」
一体、結果はどうなったのだろうか。
考えるだけで怖い。
「…………でも…………聞かなきゃ」
今、それだけで自分を保っている。
二日以上寝ていなくても、それが自分の神経を張り詰めさせて、覚醒させている。
どれだけ怖くても、不安でも、聞かなければいけないことだから。
と、その時だった。
──カチャリ──
ドアの開く音が鳴った。
◇ ◇
ユーノはドアのロックを開けようとする。
すると、その時に少しばかり驚くことがあった。
「……開いてる?」
カチャリ、と音が聞こえ、ロックが掛かっていないことが分かる。
「閉め忘れたかな」
ユーノは呟きながら中に入り、照明を点けようとした…………瞬間だった。
「…………………………ユーノ…………」
「──!?」
暗闇の中、呼ばれる声がした。
照明を点けようとしていた手が……止まる。
「フェイ…………ト……?」
暗闇の中、いつも自分が座っている席に目を向ける。
暗いから座っている人はよく分からない。
けれど聞こえた声は確かに……彼女だ。
ユーノはイスへと近づいていく。
するといたのは、やはりフェイト。
「……フェイト、どうし──」
「ねえ、ユーノ……」
ユーノの疑問を、フェイトが遮る。
だって、一番最初に……何よりも聞かなければならないものがフェイトにはあるから。
怖くても、不安でも、それでも何よりも最初に聞かなければいけないことがある。
「お見合いは……………………どうだったの?」
何よりも一番最初に、このことを。
ユーノは訊かれたことに、表情が少しばかり驚きの様相を呈したが、すぐにいつもの穏やかな表情になると、
「…………断ったよ」
短く……本当に短い言葉で伝えた。
「……そうなんだ」
ほっ、と安堵の息をフェイトは一息吐く。
──よかった。
少しだけ涙腺が緩み、ようやく──プツリ──と緊張の糸が……切れた。
──本当に……安心した。
二日以上、常に張り詰めていた糸がようやく切れた。
安堵が胸のうちに広がっている。
すると、だ。
不安が一蹴されたからだろう。
眠気が唐突にやって来た。
フェイトの視界が不意にぐらつく。
目の前にいる青年の姿が朧に見える。
──でも…………もういいよ。
ユーノがお見合いを断ったのが分かっただけでよかった。
それだけで……よかった。
たったそれだけが分かっただけで、安心した。
もう、心のうちに不安は無い。
恐怖は無い。
恐れは無い。
だからフェイトは……幸せそうな表情で意識を手放した。
二日ぶりにようやく安堵することが出来たから。
ユーノがお見合いを断ったことを知ったから。
フェイトは目の前で呆然としている青年を残して………………眠った。
◇ ◇
「一体どうしたのかな?」
目の前のイスには、穏やかな表情で眠っているフェイト。
お見合いの結果を聞くだけ聞いたら眠ってしまった。
「お見合い……か」
数時間前のことを思い出す。
「本当にお咎めがなくてよかったよ」
今回のお見合いは紹介した先生と、考古学の発表会でユーノを見て以来、ユーノのことを気に入った彼女の父親が発端となって行われたお見合いだ。
ユーノはそんな二人やお見合い相手に多大な迷惑を掛けたのだが、先生は早とちりして早急に計画してしまって済まなかったと逆に謝られ、女性の父親には余計に気に入られた。
お見合い相手の女性も、
「そこまで思われているなんて、その女性が羨ましいです」
と、微笑んでくれた。
そしてユーノがお見合い相手の前で語った女性は今……目の前にいる。
穏やかにユーノの前で眠っている。
「手を出さないくらいに人畜無害だと思われてるのかな?」
くす、とユーノは笑う。
好きな人にそう思われているのははたして幸か不幸か。
「まあ、信頼はされてるってことなんだろうけどね」
言いながら、ユーノは部屋に備え付けている毛布を取り出し、座って寝ているフェイトにゆっくりとかける。
「………………ん…………」
本当に幸せそうに眠っているフェイト。
──今なら…………いいかな。
眠っている今なら、大丈夫だよね。
「ねえ、フェイト……」
ユーノは告げる。
眠っているフェイトに。
たった一つの本心を。
たった一つの初めて抱いた想いを。
長く……本当は何年も抱いていた想いを。
これからも、ずっと抱き続けていく想いを。
フェイトが眠っているからこそ…………告げる。
「…………………………君のことが……………………好きだよ」