第十三話
『本当の気持ち』
「…………お見合い…………することになった」
ユーノから聞いた瞬間、胸が締め付けられるような……否、明確な痛みがフェイトには感じられた。
──ズキン──
胸の奥底にありもしないような痛みが響く。
けれどフェイトは痛みを無視して、彼の『友人』として祝福の言葉を送る。
「……そ、そっか。お、おめでとう、お見合いするなんてよかったね」
フェイトが言った瞬間、ユーノの表情が一瞬悲しそうな……泣きそうな顔になった。
でも、ユーノはすぐに泣きそうな表情を普段の表情へと戻す。
フェイトに気付かれる前に。
「……………………そうだね」
そして笑った。
ただ、貼り付けたような笑顔で笑う。
「…………だから悪いんだけどさ、お見合い明後日みたいだから今日は帰るね。あんまり時間がないから、今からでも準備したいんだ」
「…………え?」
フェイトが驚きの声を出す。
そんなにすぐにお見合いを、という意味を込めて。
「ごめんね、キャロ。一緒に夜ご飯食べれなくて」
「いえ、それはいいんですけど……」
キャロがユーノの服を摘むように持った。
けれどそれはキャロが不安だからではなく、ユーノのことが心配だったから。
──見えたんです。
フェイトが『おめでとう』と言った瞬間、一瞬でもユーノが悲しそうな顔をしていたのをキャロは見てしまった。
でもユーノはポン、と一度キャロの頭を撫でると服を摘んでいる指をゆっくりと外す。
「本当にごめん」
そしてユーノは一人、帰り道へと歩を進めた。
けれど途中で止まると、ユーノはフェイトを見て一言。
「……じゃあね」
ただそれだけを言って、もう一度歩き出す。
返事を聞かずに歩き出す。
ユーノにしてはあまりに横柄な態度。
あまりに素っ気無い態度。
「ユーノさん!!」
キャロが叫ぶ。
しかしユーノは軽く手を振るだけで決して振り向かなかった。
いつもなら絶対に振り返ってくれる。
なのに初めて……振り返ってはくれなかった。
「ユーノさん……」
ユーノの後姿は何よりも……悲しそうにキャロには見えた。
そして、見えたからこそ……キャロは思ってしまう。
「…………どうして」
ユーノが完全にいなくなった通路でキャロが呟いた。
「……………………どうして…………ですか……?」
するとフェイトがキャロの呟きに反応して、
「キャロ、どうしたの?」
無理やり笑顔になって訊いた。
「……フェイトさん──」
キャロが半ば責めるような眼つきでフェイトを見た。
どうしたの、ではなかった。
分かってるはずだ。
たった今、行われたことについてなのだから。
「どうして、言ったんですか?」
「…………キャロ?」
フェイトのことは大切だ。
保護者だし、大切な人……お姉さんやお母さんみたいだっていう自覚がキャロにはある。
でも、だからこそ今回のことは許せなかった。
「フェイトさんがユーノさんに『おめでとう』って言った時、ユーノさん……ほんの一瞬だけど泣きそうな顔してました!」
今まで怒った顔も見たことあるし、悲しそうな顔も見たことがある。
笑った顔なんていつも見てる。
けれど泣きそうな顔だけは一度も見たことがなかった。
「そ、そんなこと──」
フェイトが言い訳をしようとする。
けれど……
「言い訳しないで下さい!!」
遮る。
わざと言ったなんて思わない。
ユーノを悲しませるために言ったなんて思わない。
けれど……許せなかった。
「どうしてフェイトさん、あんなこと言ったんですか!?」
──『おめでとう』って、どうして言ったんですか?
分からなかった。
どうして大切な人が、自分のお父さんを泣きそうにさせるほど追い詰める言葉を使ったのかを。
キャロの瞳から涙が溢れてきた。
普段から二人と一緒にいたからこそキャロは余計に『どうして』と思う。
『おめでとう』と言ったのはフェイトの本心じゃないんだって思うから。
『おめでとう』と言ったのはフェイトの真実じゃないんだって思うから。
──だって、
「フェイトさんはユーノさんのこと…………好きじゃないんですか!?」
「──っ!?」
びくり、とフェイトの肩が震えた。
「私はまだ子供ですから、難しいことは分かりません。でも──」
なんでこんなことになってしまったのかなんて、キャロには全然分からない。
きっと今の自分には分からないことなんだろうとキャロは思う。
それでも泣きながら、キャロはフェイトに言いたいことがあった。
「私はユーノさんの笑顔が好きなんです」
初めて会った時から、安心させてくれる笑顔がキャロは好きだった。
「ユーノさんの優しい笑顔が……大好きなんです」
落ち着かせてくれる太陽みたいな笑顔がキャロは大好きだった。
「だから……お願いです」
あの人の笑顔を曇らせないで下さい。
あの人の泣きそうな表情を作らないで下さい。
「お願いですからユーノさんを…………悲しませないで下さい」
私のお父さんを悲しませないでほしい。
「お願い……です」
涙がぽろぽろと零れる。
自分のことじゃないのに、涙が止まらない。
ユーノが泣きそうな表情をしたと思うだけで悲しくて悲しくて……涙が止まらなかった。
数分後、ようやく泣き止んだキャロが目の前で黙っているフェイトに告げた。
「すいません、行きます」
踵を返し、歩いていく。
フェイトは遠ざかってくキャロに……
「………………」
何も言わなかった。
否、何も言えなかった。
「私は…………」
ただ、応援しただけだった。
お見合いをするユーノを、応援しただけだった。
「間違って…………ないよ」
きっとキャロの見間違いだ。
ユーノが悲しそうな顔をしただなんて、きっとキャロの見間違い。
だけどユーノが悲しんだと思うだけで、ユーノがお見合いをするというだけで……どうしてこんなにも胸が痛むんだろう。
「どうして……?」
◇ ◇
司書長室にあるソファーにユーノは座っていた。
「分かってた……ことなんだけどな」
実際、可能性なんてあると思ったほうが間違いだ。
けれど最近、距離が近づいてきたと思っていただけに……余計に辛かった。
「でも、だからといってあの態度はまずかったよね」
あの場を抜けるためとはいえ、無愛想だったと今では思いユーノは自嘲気味に笑う。
──コンコン──
その時、ドアをノックする音があった。
続いて恐る恐るドアを開ける音がユーノの耳に聞こえる。
ユーノは視線を音が鳴るほうへと向けた。
「……キャロか」
無限書庫に入ってきた少女を一瞥すると、力なく笑う。
「ごめんね、さっきはあんな態度取って。フェイトにも僕が謝ってたって伝えてくれないかな」
「そんな……謝らなくても大丈夫です。むしろユーノさんのほうが……」
キャロは言いながら、ユーノの隣へと座った。
ユーノは隣に座ったキャロに少しだけ笑いかける。
「大丈夫……大丈夫だよ。分かってたことだから」
ユーノは力なく、キャロに言う。
けれどそんなユーノが「大丈夫」などと言っても、キャロには信じられない。
「でも…………」
さらに言い募ろうとするキャロ。
じわりと涙が溢れた。
「まったく、キャロが泣きそうになってどうするの?」
軽くキャロの目じりを人差し指で触れた。
「だって!」
「僕のこと、心配してくれるんだ」
「当然です!!」
あなたの娘なのだから。
当たり前だった。
「そっか」
ユーノが嬉しそうな、そして泣きそうな表情をごちゃまぜにしたような顔になった。
「私……初めてフェイトさんに怒っちゃいました」
今まで一回も怒ったことなんてなかったのに。
初めてフェイトに向かって怒った。
すると、だ。
そんなキャロにユーノは……少しだけ戒めるように言った。
「駄目だよ。フェイトが悪いわけじゃないんだから」
「え……?」
どうして、だろう。
フェイトの言ったことで、ユーノは泣きそうになっていたのに。
「フェイトは悪くない。友達がお見合いするんだったら『おめでとう』と言って間違ってないよ。だからフェイトがキャロに怒られなきゃいけない理由なんて、一つも無いんだ」
別にフェイトが悪いというわけではない。
フェイトは悪いことなど何もしてないのだから。
「けど、私は──」
キャロが何かを言おうとする。
けれどキャロがここまで言ったとき、ユーノはキャロの言葉を遮った。
「でも……フェイトには悪いけど、すごくうれしいよ」
キャロのした行いに、心が温かくなるのをユーノは感じる。
「だから……というのも変だけど、ちょっとだけいいかな」
ユーノは隣に座っているキャロを持ち上げて、膝の上に乗っけた。
そしてゆっくりと……それでいて強く、抱きしめる。
「ユーノさん?」
どうしたのだろうかとキャロが訊く。
けれどユーノは何も答えず……強く強くキャロを抱きしめた。
まるで何かを払拭するかのように、ただ……ただ、強くキャロをユーノは抱きしめた。
そして五分ほどしてからだろうか。
ユーノは抱きしめていた腕を解いた。
「あの……?」
「昔、見たことがあったんだ。悲しいことがあったお父さんが娘を強く抱きしめるってシーン。それを実際やってみたらどうなるのかな? と思ってね」
実際、やってみて理由は分かった。
娘を抱きしめるだけで、すごく悲しい気持ちが和らいだ。
「後は気持ちの切り替え、かな」
──切り替え?
何のことだろうかと、キャロとしては疑問を持たざるを得ない。
切り替えって……何をだろうか。
──お見合いのことでしょうか?
ユーノは受けるって決めてしまったのだろうか。
「明日もね、特訓はお休みだよ」
無限書庫にキャロが来たときよりも、数段落ち着いた表情でユーノは言う。
「あの、断ることは出来ないんですか?」
「それは無理だね。あの方はちょっと強引だから、行くまではもう連絡つかないと思う」
実際、今は連絡が出来ないしね、と付け加える。
「だから明日と明後日はお休み。特訓は明々後日、お見合いの次の日から再開だよ」
「…………はい」
キャロの返事を聞くと、ユーノは膝の上からキャロを降ろして立たせると、そのまま肩を持ってドアまで連れて行く。
「じゃあ、今度会うときは明々後日だね」
ユーノは笑う。
するとキャロは……ユーノの笑顔を見て思った。
──よかった。
その笑顔は……さきほどとは比べられないほど、明るく見える。
そして自分がユーノの笑顔を明るくしたのだと思うと、とても嬉しかった。
「それじゃ、ばいばい」
ユーノは笑って手を振る。
「はい。さようなら」
手を振りかえしながら、キャロは自分の部屋へと帰っていく。
「キャロ……」
ユーノは帰っていくキャロの姿を見て思う。
──君がいてくれてよかったよ。
キャロがいてくれたから、持ち直せた。
君がいなかったらきっと……今も落ち込んだままだった。
「………………ありがとう」
君がいてくれて、本当によかったよ。
◇ ◇
時刻は深夜。
普段のフェイトなら眠っている時間だというのに、今はまったくと言っていいほど眠気が訪れない。
もう、何度かを数えるのが億劫になるほどの寝返りを、フェイトはまた打つ。
──眠れない。
何で眠れないのかが分からない。
何であんなことを言ったのかが分からない。
そして、
「どうして……」
自分の胸はあんなに痛んだんだろうか。
あんなことを言ってしまったのだろうか。
「…………ううん、間違ってないよ」
さきほどから何度も同じ問答を繰り返しては、寸分違わない答えにたどり着く。
──ユーノがお見合いするんだから『おめでとう』で間違ってないよね。
間違ってない。
絶対そうだ。
おめでとうって言って……間違ってない。
そう思うのに……どうして今も胸がこんなに痛むんだろう。
そう思うのに……どうしてこんなに自分は泣きそうなのだろう。
それに、
『フェイトさんはユーノさんのこと…………好きじゃないんですか!?』
キャロの問い詰める声が今も耳に残ってる。
「…………私はユーノのことが……好き?」
分からなかった。
自分の気持ちのはずなのに、自分の感情のはずなのに。
全然、フェイトには分からなかった。
もうずっと……そのことを考えているはずなのに。
未だに答えが……フェイトの前には明確に現れない。
◇ ◇
次の日、フェイトの体調が良くないと判断するのは誰にでも出来た。
目の下には隈が出来ており、表情も冴えない。
「テスタロッサ、体調が悪いんじゃないのか?」
「大丈夫ですよ。問題ありません」
「…………お前がそう言うならば別に深くは追求しないが……」
目に見えて分かる体調の悪さだが、フェイトが大丈夫というならば大丈夫なのだろうとシグナムは思う。
「ただ、無理はするなよ」
「分かってますよ」
まるで大丈夫だと言わんばかりにフェイトは答える。
だが、
「はぁ…………はぁ…………」
息が切れる。
思うように体が動かない。
いつもなら当然に出来ることが、今は出来ない。
「テスタロッサ!!」
シグナムが唐突に叫んだ。
何事かとフェイトは思った瞬間、火弾が目の前に現れた。
──防御を……。
考えた瞬間、バルディッシュがすぐに反応してバリアを張ってくれた。
けれども本当に辛うじて間に合わせただけだったので、吹き飛ばされる。
が、フェイトはすぐに体制を立て直してまた訓練を再開しようとした……その時だった。
シグナムがフェイトの前に立った。
「訓練は一時中止だ」
「……え?」
「訓練は中止だと言ったんだ」
シグナムがすでに決まったかのように言い放つ。
「そんな、どうして!?」
「調子が悪いのに訓練などさせられん。残りは私が受け持つ。今日は休んでおけ」
「問題ないですよ。私なら──」
大丈夫、とフェイトは続けようとした。
けれど続く言葉はシグナムの眼光によって遮られる。
「…………分かりました。休みます」
どうせ反論したところで、戦ってでも休まされるのがオチだろう。
だからフェイトは素直に休むことを選んだ。
納得はしていないけれども。
「キャロ、エリオ。少しの間休憩だ」
シグナムの宣言によって休憩が二人に言い渡された。
フェイトはそれを見届けると、一人宿舎へと帰っていく。
今日、スターズの人たちは全員がいない。
つまりあの部屋に帰っても……なのははいない。
でも、かえってそれがいいのかもしれない。
部屋に帰っても寝れるわけじゃない。
どれほど寝ようと頑張っても、脳裏を過ぎるのはユーノのこと。
だから悩んでいる姿をなのはに見られて心配されるよりは……一人のほうがずっといい。
◇ ◇
訓練を休めと言われてから数時間。
外はもう……真っ暗になっていた。
その間、フェイトはベッドに寝てはいたが……また、何度も寝返りを打つ。
もう、昨日から何度同じ行動を行っただろうか。
寝付けず、不安が無くならず……胸の痛みが消えない。
「どうしたら……いいのかな」
結論が出ず、答えは……見つからない。
その時だった。
客の訪問を伝えるブザーが鳴った。
──だれ?
「あの……フェイトさん。ちょっといいですか?」
「……キャロ」
珍しい。
キャロがフェイト達の部屋に来るなど。
フェイトはベッドから起きてドアを開けようとする。
けれどそれを察するかのごとくキャロの声が届いた。
「ドア越しでいいです。これは私の独り言ですから……」
キャロの言葉にフェイトの動きかけた体がピタリと止まった。
「…………………………その、ですね」
間を置いて、キャロはまるでフェイトに話し掛けるようにように呟き始める。
「昨日は……すみませんでした」
ペコリ、とドア越しなのにも関わらずキャロは頭を下げる。
「あの後、言われたんです。フェイトさんが悪いんじゃないんだって」
ユーノに言われたから。
別にフェイトが悪くないんだと言うことを。
「それはとても申し訳ないと思ってます」
半ば八つ当たりと取られても仕方の無い行為だとキャロは思う。
「でも……それでも聴いてほしいことがあります」
フェイトが悪くないとしても、思うことがキャロにはある。
「もっと…………自分と向き合ってください」
自分と向き合ってほしいということ。
「私は……いろいろなところでフェイトさんの笑顔を見てます」
出会ってから、本当に色々なところでフェイトの笑顔を見てる。
「私と一緒にいるとき、エリオ君と一緒にいるとき、なのはさんと一緒にいるとき。もう、本当にいろんなことでフェイトさんの笑顔を見てると思います」
そして、そのどれもが暖かい笑顔だとキャロは思う。
「けど……その中でも一番フェイトさんの笑顔が暖かいな、って感じるのは──」
キャロはいつも見ている光景を思い出す。
そう、キャロが一番暖かいと感じるのは、
「ユーノさんの隣で笑ってるときです」
ユーノの隣だと、いつもの笑顔が……より暖かく感じる。
自分に向けれている笑顔ではなくても。
たった一人に向けられた笑顔だとしても。
それでも見ているキャロが嬉しくなるぐらいに、暖かいと感じる。
「だから……一つだけお願いがあります」
ドア越しにキャロは、一番フェイトにして欲しくないことを伝える。
「後悔だけは……しないでください」
ただ、これだけは願う。
「私、ユーノさんが泣きそうな表情をするのは嫌ですけど、フェイトさんが辛い表情をするのも……すごく嫌ですから」
──大切な人が悲しい表情をするのは嫌だから。
キャロは一つ息を吐く。
自分が言いたいことは終わった。
「あと、最後に伝えることがあります」
そして昨日、託されたことをキャロは言う。
「昨日……あの後、ユーノさんと会ったとき、ユーノさんはフェイトさんに謝ってましたよ。あんな態度を取って『ごめんね』って」
ユーノから託されたことを、最後に言う。
「………………これで、独り言はお終いです」
だからもう、言いたいことは全て言った。
「失礼します」
キャロが帰った後、フェイトは一人考える。
ずっとずっと……キャロが言ってくれたことを考えていた。
それこそ日付が変わり、さらに数時間経つほどに。
「自分と向き合う……」
キャロはきっと、フェイトが自分の心と向き合ってないと思っている。
フェイト自身そう思っていなくても、キャロは向き合ってないと感じたのだろう。
「後悔しないために……どうすればいいの?」
キャロは後悔するなと言った。
「私は今……どうしたいの?」
考える。
自分が一番したいことが何なのかを、心を空白にして、まっさらな状態で向き合って考える。
すると……唐突にある感情がフェイトの胸のうちに浮かび上がった。
「………………………………行かなきゃ」
フェイトは不意に立ち上がる。
「今、自分が一番行きたい場所に……行かなきゃ」
何にも囚われず、ただ純粋に胸のうちに浮かんだのは……ある場所。
“ただ……行きたい”
思うがままに、願うがままに、後悔しないために……行きたいと思った場所がある。
──そこでならきっと……見つかる。
捜し求めてた答えが、きっと見つかる。
理論も何も無いけれど、分からなかった答えがきっと見つかるって断言できる。
「だから行こう………………無限書庫に」
フェイトはたどり着いた場所のドアをゆっくりと開けようとして……鍵が閉まっていることに気付いた。
「…………そうだよね」
時刻は真夜中。
なのに今更のようにフェイトは思う。
「ユーノ……いないんだもんね」
いつも開いていたから、勘違いをした。
ゆっくりとフェイトは司書長室のドアのロックを外そうとする。
──昔、教えてもらったな。
もし、自分がいないときに来たときはロックを外して勝手に入っていいと言われた。
今のところロックの解除がたった一人で出来るのは、ユーノとフェイトだけ。
不意に、嬉しさがこみ上げた。
カチャリ、とロックが外れる音が聞こえる。
フェイトはドアを開け、そのまま室内へと入って行くと……ユーノが座っているイスへと向かい、腰を降ろした。
いつもユーノが座っている司書長室のイス。
だというのにも関わらず、今はもう……ユーノの温もりは微塵も感じられない。
「ユーノは今……お見合いの準備中かな?」
フェイトはここにいない人物に想いを向ける。
「やっぱり、相手の人が綺麗だったら……お見合い、うまくいっちゃうよね」
今、胸に描いている人物がそうなってしまうと思うと胸がズキン、と痛んだ。
「そしたらもう……私と一緒にいてくれないよね」
言葉を続けると、さらに胸の痛みが強くなった。
「そしたらもう……私の名前も優しく呼んでくれないのかな?」
──ユーノの優しい声音は……想いは全部その人に向けられて、私にはもう……向けられないのかな?
もし、そうなってしまったら、と思うと……フェイトの瞳が潤んだ。
口にしたことで初めて、ユーノを失うことへの恐怖を感じた。
「ユーノの暖かさをもう……感じられない?」
あの包まれるような暖かさを二度と感じるとが出来ない?
「優しさがもう……私に向けられない?」
心がうれしくなる優しさが私に向けられない?
「そんなの………………………………いやだよ…………」
彼を失ってしまうと考えると…………考えるだけで…………胸が押しつぶされそうだった。
私を呼ぶ彼の声が無くなるなんて……どうしようもなく嫌だった。
だって私──
『フェイト?』
彼の問う声に、何でもいいから答えたくなって
『フェイト!?』
彼の驚く声に、何故かとても可笑しくなって
『フェイト!』
彼の私を呼ぶ声に、何よりもすぐ振り向きたくなって
『フェイト!!』
彼の勇ましい声に、少し凛々しいと感じて
そして何よりも
『フェイト』
彼の声を聞くことが…………うれしかった。
彼が私の名前を紡ぐことが……何よりも大好きだった。
「……どうしよう」
だからこれは………………後悔だ。
「私……」
心にもないことを言った。
全然思ってないくせに、まったく願ってないくせに、ただ心の苦しさを紛らわせるために嘘を言った。
「私………………」
自分の本当の気持ちを私自身が知ろうとしなかった。
「私………………………………」
本当はずっと見てた。
本当はずっと近くにいたかった。
本当はずっと側に……いたい。
誰よりも隣に……いたい。
──そうだ。
「私…………………………………………こんなにユーノのこと好きだったんだ」
涙が一粒……零れる。
今、気付いた…………彼への想い。
大好きなユーノへの……………………特別な想い。
それを今、理解してしまったから……胸が痛んだ理由を理解してしまったからこそもう…………想いを止めることは出来なかった。
「………………だからすごく……………辛かったんだ………」
あなたの温もりを感じることが出来ないと思ったから。
「………………だからすごく……………寂しかったんだ…………」
あなたの優しさが私に向けられないと思ったから。
「………………だからすごく……………悲しかったんだ…………」
あなたがいなくなると思ったから。
また涙が二粒、三粒とさらに零れる。
「ねえ…………ユーノ」
けれど零れる涙はそのままに、フェイトは胸元にあるペリドットを右手で握り締め、約束をした右手の小指を左手で強く包み込んだ。
「……約束って……言ったよね」
私が辛かったらいてくれるって約束した。
「……頼れって……言ったよね」
私が辛かったら自分を頼って欲しいって言ってもらった。
「……そう……言ったのに……」
なのに今、この瞬間に──
「どうしてユーノは私のそばにいないの?」
分かってる。
自分が彼を引き止めなかったのがいけないんだって。
ユーノにもどうしようもなかったことだって。
そんなことは分かってる。
けど、
「…………頼らせてよ」
ユーノの言葉が、心の奥にずっと残ってる。
「…………支えてよ」
ユーノの笑顔が、心の奥にずっと残ってる。
「お願い……」
張り裂けそうな想いと、暖かな想いが交錯する。
もう、嘘は言わないから。
もう、自分の気持ちは偽らないから。
もう、自分の想いは隠さないから。
──だからお願い、ユーノ。
「そばに…………………………いてよ」