第十一話
『キャロの心配、ユーノの不安』
最近、エリオ君が話してくれなくなった。
「あ、エリオ君。あのね……」
「ごめん、急いでるから」
「エリオ君、さっき……」
「やることがあるから後でね」
「あ、あの……エリ──」
「ごめんね。忙しいんだ」
…………どうしてだろう。
私、悪いことしたのかな?
私、嫌われちゃったのかな?
全然、分からない。
だから………………ユーノさんに相談したら、またエリオ君と仲良くする方法、教えてくれるかな?
その日、無限書庫に来たキャロの表情は誰の目にも分かるくらいに暗かった。
「キャロ、どうしたの!?」
いつものように迎えようとしたユーノが慌てて聞くと、キャロは表情をさらに暗くして、
「…………最近、エリオ君とあまりお話してないんです」
完全に落ち込んだ表情になっていた。
「エリオ君と……話してないの?」
「……はい。なんだか避けられてるみたいで」
キャロの声はどんどん小さくなっていく。
「私、エリオ君に嫌われちゃったんでしょうか?」
考えたくはないが、話してくれないのを鑑みるとキャロはそう考えてしまう。
が、ユーノはそんなキャロの考えを一蹴する。
「キャロに限ってそれはないよ」
──キャロがエリオ君に嫌われた?
ありえない。
前に会ったエリオの様子からもそれは分かる。
たとえ前に会った時から今日までの間に、キャロとエリオに何か問題があったとしよう。
でも、エリオが嫌いになるなどということは絶対にない。
それだけはユーノにだって分かる。
「大丈夫。すぐにエリオ君も話してくれるようになるよ」
「本当ですか?」
エリオに嫌われるのが本当に嫌なのか、怖がるようにキャロはユーノに聞いてくる。
だからユーノは安心させるために、
「本当だよ」
ポンポンとキャロの頭を叩いて、キャロを安心させるように笑った。
「もしもし」
毎日電話している相手に、今日も連絡を取る。
「ちょっと気になることがあって電話したんだけど」
『どうしたの?』
フェイトの問いに、ユーノはさきほどキャロから聞いた話を彼女にする。
『……そんなことがあったんだ』
「うん」
フェイトは気付いていなかったようで、ユーノから聞いた事柄を深刻に受け取ったようだ。
『でもキャロ、何で私に言ってくれなかったのかな』
そしてちょっとだけ、不服そうにユーノに言う。
「そこは…………たぶん、僕と君との役割の違いだよ」
『ユーノと私の役割の違い?』
「そうだよ。やっぱり相談の種類によって、僕と君との役割は違うんだと思う」
そう、もう今までとは違う。
相談できる人が二人いる。
ということは、フェイトしか相談できる人がいなかった昔とは違う。
「今回の相談は、僕の方が適任だったんじゃないかな?」
おそらくね、とユーノは付け加える。
『で、でも私にも何か出来ることがあるんじゃ……』
「大丈夫だよ。任せて」
心配性のフェイトをなだめるようにユーノは穏やかに言う。
「今回は僕が頑張るから、フェイトは安心して」
『だけど──』
「駄目だよ、フェイト。君はいつも頑張ってるじゃないか。だから今回は僕が頑張るよ」
自分が頼られた以上、どんなことでも、いつでも頑張っているフェイトにこれ以上頑張らせようとユーノは思わない。
「フェイトだけに負担は掛けさせない」
自分が大事にしている娘のことなのだから。
『ユーノ……』
「明日、エリオ君と会ってみるよ。それで理由を訊いてみる」
『うん。分かった』
フェイトはユーノの言ったことに頷いた。
──けどね。
『けど、ユーノってさ……』
「なに?」
フェイトは、今回の話の流れで思うことがあった。
『私には過保護とか言うけど……』
彼も似たようなものじゃないか。
『ユーノは親ばかだよね』
◇ ◇
次の日の夜、機動六課宿舎周辺。
ユーノはそこをくまなく歩いていた。
すると遠くのほうから、風を切り裂くような音がユーノに聞こえてきた。
「あっちか」
音のする方向にユーノは足を向ける。
するとしばらくして…………エリオを見つけた。
「はぁ…………はぁ…………」
斬戟の特訓をしているのか、息が弾んでいる。
ユーノが数分、特訓を見続けているとふいにエリオが止まった。
そして草むらに寝転がるように倒れた。
その姿をユーノは見ると、エリオの前へと足を運んだ。
「こんばんは、エリオ君」
「──えっ!?」
唐突に掛けられた声に驚きの様相をエリオは見せたが、声の主がユーノだと分かると安心したようだ。
「ユーノさんですか。驚かさないでくださいよ」
「ごめんね。なんだか真剣にやってたみたいだったから、話し掛けるタイミングが分からなくって」
「いや、それはいいんですけど…………どうしたんですか?」
普段、機動六課になど来ないのに、こんな遅くに何の用があるのだろうか。
「ちょっとエリオ君に話があってね」
「僕に?」
エリオが自分を指差す。
「そうだよ。だからそこにあるベンチでちょっと話さない?」
近くにあった自動販売機で缶ジュースをユーノは買った。
そして先にベンチで座って待っているエリオに缶ジュースを渡すと、ユーノも隣に座った。
「最近、キャロと話してないんだって?」
ユーノがゆっくりと言った。
エリオはユーノの問いに今まで普通だった表情が硬くなる。
そしてエリオは硬い表情のまま一度、ジュースに口をつけて飲んだあと、答えた。
「訓練……自主練も含めて頑張ってますから」
「時間がないってこと?」
「……はい」
ずっと、缶の飲み口を一点に見ながらエリオは答える。
ユーノは硬い表情のままのエリオの様子を見て、
「質問……していいかな?」
さらに問おうとする。
エリオも異議はないようで首を縦に振った。
ユーノはエリオが質問を許してくれたことに安堵すると、エリオの言葉で気になったことを訊く。
「エリオ君はさ、どうして今……頑張ってるの?」
「…………え?」
「どうしてそこまで必死に頑張ってるのかな?」
「どうして……ですか?」
「そうだよ」
聞き返しに、ユーノは首肯をする。
──どうして……と言われると。
エリオはユーノの問いに数秒考える。
そして出た答えは、
「キャロが頑張ってるからです」
ありきたりなもの。
別に答え自体は咎めることなどないし、問題は無いとユーノは思う。
でも、だからこそ一つだけはっきりとさせておきたい。
「それは対抗心から?」
ただ、これだけははっきりとさせておきたい。
「………………それは……」
言われてエリオは……答えが出なかった。
「キャロはね…………」
しかしユーノは返答を待たずに続ける。
「君に負担を掛けたくないって言ってたよ」
「……僕に?」
エリオが聞き返す。
するとユーノはいつもの笑顔ではなく…………真顔でエリオに話し始めた。
「キャロが今頑張ってるのは……強くなろうとしてるのは……エリオ君のためなんだよ。それに比べて君はどうなのかな?」
ユーノは訊く。
今、彼がエリオに何よりも尋ねたいこと。
それは、
「君は“どうやって”強くなろうとしてるのかな?」
──ドクン──
一瞬、心臓が跳ねたような気がエリオにはした。
「対抗心で強くなりたいと思うのもいいよ。それは否定しない。全然間違ってないと思う」
そうだ。
間違いなどとは思わない。
「でもね、キャロは君にとってライバル?」
君達はライバル?
──違うよね。
ユーノはそう思うからこそ、問いたかった。
「エリオ君にとってのキャロって、どんな存在?」
エリオにとって、キャロはどんな存在なのかを。
「僕にとっての…………キャロ」
エリオは考える。
目を閉じ、両手で缶を握り、エリオは考える。
そして出た答えは──
「僕にとってのキャロは…………大切で、心から守りたいと思う女の子です」
ユーノはエリオの答えに顔を綻ばせる。
「だったら“キャロが頑張ってるから”じゃないよね」
「……そうですね」
──うん。ユーノさんの言うとおりだ。
「“キャロのため”だよね」
「……はい!」
エリオが元気よく返事をする。
「それなら、これから君がすることは分かるかな?」
「えっと……分からないです」
ユーノがくすり、と笑う。
「キャロに心配をさせないことだよ。その人のために頑張っているのに、逆に心配させたら駄目だと思わない?」
「あっ! 確かにそうですね」
エリオが笑顔になって納得する。
だからこれで一件落着……かと思えば、
「でもね、やっぱり疑問だったんだけど、キャロと話さなかったのはどうして?」
まだ一つだけユーノの中に疑問があった。
考えれば特訓に忙しいだけで、エリオがキャロと話さなくなるとは思わない。
「あの……ですね。最近キャロと話すと、ユーノさんの話が多いんです……」
「僕の?」
「そうなんです。一日三回は絶対にユーノさんの話題になるんです」
少しばかり落ち込んだようなエリオの物言いに、ユーノはトントン、と人差し指で頭を叩きながら彼の言葉を吟味する。
「えっと、つまりは……」
──嫉妬か。
子供のかわいらしい嫉妬に笑いそうになる。
「安心してよ、エリオ君。僕とキャロは親子みたいなものなんだから」
言った瞬間、エリオが目をぱちくりさせるのがユーノには分かった。
「親子……なんですか?」
エリオには初耳だった。
ユーノとキャロが親子だったなんて。
「そうだよ。最近親子になったんだ。僕がお父さんで、キャロが僕の娘」
「…………そうなんですか」
安心したかのようにエリオが息を吐く。
「きっとお父さんみたいな人が出来たのがうれしくて、それでエリオ君に僕のこと話してるんじゃないかな?」
「そうかも……しれません」
確かにユーノに恋をしている感じはしなかった。
信頼関係があるのは有り余るほど分かったけど。
「だからエリオ君も、僕の話題で腹を立てちゃ駄目だよ」
「はい」
と、ここでユーノがからかうように、
「僕としては心の狭い人に、娘をやることはできないしね?」
「ユ、ユーノさん!?」
ユーノの言葉に慌てるエリオ。
「なんてね」
ユーノは笑うと、ある草むらの方向へと指を差した。
「ほら、エリオ君はあそこの草むらに行っておいで。そこでキャロがそわそわしながら待ってるから」
──バレバレなんだよね。
おそらくユーノの後に引っ付いてきて、隠れたのだろう。
だが、さっきから言葉の一つ一つに草むらが揺れれば、さすがに分かる。
「あの、それじゃ行きますね!」
エリオも数日間キャロと話していなかったため、すぐにでもキャロの元へと行きたいようだ。
だからユーノは手のひらをヒラヒラと振ってエリオを行かせた。
そして二人が出会って宿舎に仲良く歩いていったのを見ると、ユーノは…………別の草むらへと移動した。
「さて、質問なんだけど……」
キャロがいたところとは反対の草むらにいる女性に、ユーノは声を掛けた。
「どうしてフェイトがここにいるのかな?」
うまい具合に気配を消していたフェイトに、ユーノは呆れた表情を浮かべた。
キャロが隠れていたのと同様に、フェイトも近くに隠れていたのだ。
しかもフェイトはキャロと違ってほとんど気配を消していたから、気付いたのは本当に偶然だとユーノは思ってる。
「だ、だってやっぱり心配だったから……」
少しだけバツが悪いようにフェイトが答える。
「僕はそんなに信用ない?」
ユーノは昨日、ちゃんとフェイトに「任せろ」と言ったのに。
「ち、違うよ! 絶対にそんなことない!」
少しだけ悲しそうな表情を浮かべたユーノに、フェイトは必死に弁明する。
「ユーノはすごく信用できるし、全然そんなことない!」
フェイトとしては子供達のことがすごく心配だった。
ただ、それだけ。
「まったく……」
嘆息をするユーノ。
そして右手を彼女の額にすっ、と向けると、
「──イタっ!?」
軽くデコピンをした。
「ユ、ユーノ?」
痛みは無かったが、フェイトは額を軽くさする。
「…………フェイトは頑張りすぎだよ」
不意にユーノが真面目な顔をして話し始めた。
「………………え……?」
「別にフェイトが何でもかんでも頑張る必要は無いんだ。今回は僕が相談されたんだから、僕が頑張るべきなんだよ」
「…………それはそうだけど」
でも、自分が関わることで少しでも事態が好転するんだったら、と思うとフェイトは関わらずにはいられない。
「君は誰よりも頑張るから、皆がフェイトのことを頼りにしてるんだと思うし、君が関わったことでうまくいったことだってたくさんあると思う」
それが良い事だってことはユーノにだって分かってる。
「でも…………それが時々不安に思うよ」
ユーノの声音が急に……本当に突如として心配そうな色を帯びた。
「どうして?」
フェイトがユーノの言葉に問いを発した。
ユーノが心配してくれていることは嬉しいが、どうして不安になるかフェイトには分からない。
「だってさ。僕は君から辛いって聞かないし、大変という言葉だって聞いたこともない」
──最近、気付いたんだ。
彼女は決して辛いとは言わない。
大変だとは言わない。
そんなもの聞いたことが無い。
「それが不安になる時がある」
フェイトは色々と溜め込んでいるんじゃないかって、不安に駆られるときがある。
「君だって辛いときがあるだろうし、大変なときだってあるだろ?」
どんなに悲しいことがあったとしても、どんなに忙しいことになったとしても言わないだけで、絶対にフェイトだってあるはずなんだ。
辛いときや、大変なときが。
そんなとき、一体誰がフェイトを支えるのだろうか。
一体誰をフェイトは頼ればいいのだろうか。
「私は隊長だから平気だよ。それに頼られるのも嫌じゃないし」
一方でフェイトは何でもない、といった感じで軽やかに言う。
でも、
──フェイト……違うよ。そんなのは僕だって分かってる。
皆がフェイトを頼ってるのは分かるし、フェイトもそれが嫌じゃないというのは分かる。
それにフェイトだけが辛いんだったら、なのはがきっとフェイトを支えてくれる。
──それは分かってるさ。
「けど、君は自分が辛いときにも皆を支えようとするよね?」
フェイトも含めて皆が辛かったら、きっとフェイトは……辛さを押し殺して皆を支えようとするだろう。
「だって、頼ってくれるなら応えないと。私は我慢することに慣れてるから平気だよ」
ユーノの心配に、フェイトは笑顔を浮かべて問題がないことをアピールする。
けれど………………だからこそユーノはフェイトの笑顔見て余計に思うことがある。
──それは僕が嫌なんだ。
そしたらフェイトはその時、誰を頼ればいいんだ?
頼る人がいないからって、辛さを一人で溜め込ませるのか?
支える人がいないからって、大変さを一人で抱え込ませるのか?
それなのに、まだ一人で頑張るというのか?
「フェイトが平気でも、僕が嫌なんだよ」
──そんなこと、僕はさせたくない。
「…………だから──」
──だから、さ。
「その時は僕を頼ってよ」
我侭かもしれないのは自分でも理解している。
フェイトが必要としていないかもしれないのも分かってる。
──けど、それでも僕は願うよ。
「君が辛いときや大変なときは……僕を頼って。皆が辛いとき、大変なときにフェイトを頼るんだったら、フェイトは僕を頼ってくれていい。いや、頼って欲しい」
切実にユーノは願う。
──フェイトが辛いときは、支えてあげたい。
ただ純粋に、それだけを。
「駄目かな?」
ユーノは目の前にいるフェイトに尋ねる。
するとフェイトは、
「ううん、駄目じゃない」
華のような笑顔で簡単に了承した。
「駄目だなんて言わないよ」
──頼りたいよ。
確かに我慢は出来るし、皆に心配を掛けないためにも誰かを頼るなんて事はしたくない。
でも、ユーノに「頼って欲しい」と言われた時……どうしようもなく嬉しかった。
ユーノに『頼りたい』と思った。
だから、
「辛かったらユーノのこと……頼りにするから」
否定なんてする訳が無い。
「じゃあ、約束」
ユーノは小指を差し出す。
「約束?」
「フェイトが辛いときは、絶対に僕を頼ること。その約束だよ」
照れくさそうにユーノが頭をかく。
フェイトは照れているユーノを少し「かわいい」と思いながら、ユーノの小指と絡ませるために右手を前に差し出した。
「そういえば、ユーノと指きりって初めてだね」
「そうだね」
お互いが照れるように笑いながら、それでもたどたどしく指を二人は絡めた。
恥ずかしいから決まり文句は言わない。
けれど、
「約束……だよ」
フェイトがはにかみながら言葉を紡ぐ。
だからユーノも誠心誠意、心を込めて誓う。
「大丈夫。約束は守るから」
──絶対に守るよ。
心に刻んで、己に誓う。
『力』でフェイトを守ることなんて出来ない。
逆に守られることになる。
──だからせめて君の心は……精一杯守る。
それが指きりに秘めたユーノの誓い。