何が変わるというのだろう。
『彼』がいたからといって、何かが変わったのだろうか。
…………少なくとも、序章は変わらなかった。
『彼』が関わったこの物語も、崩壊は始まった。
序章は変わらない。
世界を変えようとする序章は何も違わなかった。
なら、『彼』が関わったことで“これから”何か変わるのだろうか?
序章が変わらずとも、その先……何か違っていくのだろうか?
「My family」外伝
『original strikers』
第一話
「父親だからこそ」
地上スレスレを縫う様に飛んでいく。
上空にはガジェット群が漂っているから、あまり高度は上げられらない。
「……何でもっと早く来れなかったんだ」
機動六課が崩壊しているこの状況を目の当たりにして、いたたまれない気分になる。
「学会なんてキャンセルすればよかった」
“何か”があるのは気付いていた。
ただの民間協力者だとしても、それぐらいは気付いていた。
だから自分を信じてキャンセルすればよかった。
そうすれば、もっと早く来れた。
「そうすれば……」
何が出来るかは自分でも分からないけれど、少なくとも“何か”は出来たはず。
「…………けど、それも後の祭りだ」
だから今、出来ることをしよう。
ユーノ・スクライアが出来ることを。
そう思ってここに──
『────っ!!』
何かが…………聴こえた。
「…………今……のは……?」
不意にユーノの耳に届いたの音。
「…………キャロの声……?」
彼女の声が聴こえた気がした。
「気のせい……か?」
この怒号の中、そうそう娘の声だけを聞き分けられるはずもない。
「気のせいだ──」
そう思おうとした瞬間だった。
『──────────ッッ!!』
咆哮が聞こえた。
人間のものではない、明らかに人外と分かる雄叫びが耳に届く。
「──なっ!?」
一瞬、頭が痛くなりそうなほどの雄叫び。
「………………どこから……?」
止まって、左右を見渡す。
……見つけた。
「…………あれは何だ?」
1キロほど離れた場所だろうか。
規格外の“怪物”が姿を現し始める。
「…………竜………………?」
そう呼ぶにはあまりに常識外の姿ではあるが、竜に見えないこともない。
「どうしていきなり?」
飛んできたわけでも、歩いてきたわけでもない。
唐突に姿を現した。
そして、
「……光が集まってる」
巨大な竜の下には光が集まり、収束している。
数瞬後──
『──────────────────!!』
あまりにも呆気なく、強大な力が解き放たれる。
解き放たれた光は閃光となって、上空のガジェットを根こそぎ破壊し尽くす。
「──っ!」
閃光の衝撃。
その余波がユーノにまで届く。
「あ、危なかった」
上空の高いところを飛んでいたら、塵芥となっていた。
「いや、怪我がないから別にいいか」
ユーノは今一度、竜に意識を向ける。
「それにしても……」
“唐突”に現れた竜を見据える。
「あれは誰かに召喚され…………たんだよな」
そう結論付けた瞬間、頭の中に一人の名前が浮かび上がる。
「………………キャロか」
召喚をしたのは間違いなくキャロ。
あの規模の召喚を出来る人物など数多くいない。
さらにガジェットの破壊、召喚されたのが竜ということを鑑みれば、答えは容易に出てくる。
「だとしても、なんでだ?」
──どうしてこの規模の召喚が行われてる?
キャロの力は不安定だ。
彼女が望めば彼らが“やって来る”としても、この召喚が危険ではないと言い切れない。
だからこそ過去に“真竜”を召喚させたことはなく、ユーノとしてもゆっくりと“力”のコントロールを覚えてくれればいいと思っていた。
──そんな危険なことを、キャロがしたのか?
あの子が?
「……まさか、キャロがそんなこと──」
と、ユーノはそこまで考えて…………見当違いに気付いた。
「…………いや、違う」
そうか。
「危険じゃないんだ」
あの召喚に危険はない。
最初の前提条件を間違えていた。
“キャロが理性的である”ということが、大間違いだ。
「この状況なんだ。平然としているわけないじゃないか」
優しいあの子が、冷静なはずがない。
「“だから”召喚は安全なんだ」
この召喚が危険ではないと判断できるのは、キャロの身に危険が迫っているか、またはキャロの感情が異様に昂っている時。
「その時なら、ル・ルシエの巫女を守護する黒き火竜──“真竜”ヴォルテールでさえ、容易に支配下におけるんだから」
“その時”だから、何も問題はない。
“その時”だから、何も危険はない。
“その時”だから、何も不安はない。
そう、“その時”……だけれど──!
「くそっ!!」
──どうして“その時”になってるんだ!
可能性は二つ。
キャロが危険な目にあっているのか、もしくは感情が昂っているのか。
前者でも後者でも良い予想はできない。
「早く…………早く行かないと!」
キャロの下へ、一刻も早く。
◇ ◇
感情の赴くままに、ガジェットを破壊する。
『────────』
守りたいが為に、守るべきもの以外を全て破壊し尽す。
それが今の彼女の望み。
『────────』
だから大好きだった場所を守るために“真竜”を召喚した。
それが一番有効な手段だと思ったから。
『────────』
もう、何も耳に入れたくなかった。
壊れる音も、焼ける音も。
崩れる音も、砕ける音も。
何もかもの『音』を耳に入れたくなかった。
「……もう…………いやだよ……」
何もかもを拒否する。
もう、どんな『音』も入れたくない──
『──────────!』
……はずだった。
「………………え…………?」
彼女の耳に……“何か”が届いた。
『──────────!!』
“何か”が……聴こえた。
「…………いま…………のは……?」
“何か”がこの場に響いた。
『────ロ──』
破壊される音でも、焼ける音でもない。
『──キャ────』
轟音が響く最中、聞き慣れた『音』が耳に届く。
『────キャ──ロ──』
嫌な音ばかりの中で、唯一大好きな『音』が聞こえる。
いつも聞いている、いつも聴こえている『音』がする。
──これは……。
知っている。
よく分かっている。
──私の好きな人の『 』。
優しく、包み込んでくれる人の『 』が聞こえる。
暖かく、微笑んでくれる人の『 』が耳に届く。
──私の大好きなおとーさんの『声』が……。
「──キャロ!!」
今、はっきりと聞こえた。
この耳に届いた。
「…………ぁ……」
大好きな父親が空から自分のところへ駆け寄ってくる。
「キャロ!」
駆け寄った勢いそのままに、思い切り抱きしめられた。
「……おと………………さん……」
暖かくて優しい『おとーさん』がここにいる。
──おとーさんだ。
大好きな『おとーさん』が抱きしめてくれてる。
「…………おとー……さん……」
少し苦しくて、少し恥ずかしくて…………すごく安心する。
「………………おとーさん…………」
しがみつく。
力いっぱい、目一杯ユーノの服を握り締める。
「…………おとーさん……」
涙が溢れてくる。
「おとーさん……」
悲しくて、辛くて、どうしようもなくて涙が止まらない。
「おとーさんっ!」
涙が溢れ、くしゃくしゃになった顔をユーノの胸に埋める。
今まで溜まっていたもの全てが、止め処なく溢れ出る。
「……大丈夫」
そんなキャロをユーノは力いっぱい抱きしめる。
「大丈夫だよ」
泣かないで。
「もう大丈夫だから」
悲しまないで。
「おとーさんが来たから、大丈夫だよ」
ユーノがキャロを抱きしめると魔方陣が消え、ヴォルテールもいなくなった。
ユーノは抱きついているキャロをそのままに、気を失っているエリオとフリードを抱えあげて壊れているコンクリートまで歩く。
そこを背に座り込み、左の太ももにエリオの頭を乗せる。
「ちょっとごめんね」
右側でしがみついたままのキャロから帽子を借りて、その中にフリードを入れる。
「これでよし、と」
そしてユーノは左手でエリオとフリードに交互に癒しの魔法を使う。
右手では泣いているキャロの背中をポンポン、と優しく叩く。
「………………ひっく…………」
けれどキャロは泣き止まない。
「……壊れ……ちゃった…………大好きな場所……………………壊れちゃった……」
本当に辛くて、悲しい出来事なのだから涙が止まるわけがない。
「…………キャロ……」
ユーノはただ、娘を抱きしめてあやし続ける。
──本当は動き回ろうと思ってた。
キャロとエリオの様子を見たら、他の場所にも顔を出そうと思っていた。
でも、二人に会ったら……どこかへ行く気は失せた。
こんなに傷ついている二人を見て、それでもどこかへ行くなんて考えられない。
──ここにいよう。
傷ついている子供達を支えよう。
心も体も傷ついているキャロとエリオを、父親である自分が支えるんだ。
『家族』だからこそ、『父親』じゃないと出来ないことがあると思うから。
だから……この子達の側にいよう。
◇ ◇
襲撃が終わったのを見計らってユーノはエリオを病院に搬送させ、後はひたすらキャロが落ち着くようにあやし続けた。
そしてキャロの頭を撫でて一時間ぐらいだろうか、泣き止んだキャロから寝息が聞こえてきた。
「……お疲れさま、キャロ」
たくさん辛いことがあって、たくさん悲しいことがあった。
その中で本当に頑張ったね。
「エリオもフリードも無事でよかった」
先生によれば、エリオの怪我は酷いものでも強い打撲程度で済んでいるから二日以内には治るとのこと。
怪我をしてすぐ魔法によって手当てされたことも、より怪我で少なくて済んだ理由だ。
フリードも大きな怪我はなく、あまり問題はないとのこと。
双方とも目を覚ますのは次の日になる、とのことだ。
「僕達は帰ろうか」
これから、この場所は怪我人──軽傷者も重傷者もどんどん増えるはずだ。
スムーズに物事を進ませるに、自分のような邪魔者がいたら駄目だろう。
「行こう」
おんぶをするためにキャロを背中に回そうとして……何かに服が引っ張られる感触がした。
「ん?」
感触した場所に目をやる。
そこにあったのはキャロの小さな手。
「…………そっか。怖かったんだよね……」
握り締めている手を解こうとする。
が、それを嫌がるかのように、無意識ながらもキャロが抵抗する。
もう一度優しく解こうとするが、キャロはさらに強く握り締める。
「しょうがないか」
おんぶを諦める。
「よいしょ」
おんぶからお姫様抱っこに変える。
「今日は僕の家に帰ろうか」
キャロを抱っこしながら病院の外まで出る。
「……さて、と」
魔方陣を展開する。
「早く休もうね、キャロ」
ユーノが声をかけた瞬間、二人の姿が消えた。
ユーノは自分の家に着くと、寝室にあるベッドにキャロを寝かせた。
未だに服を握り締められたままだったから、キャロの頭を膝に乗せる。
そして通信画面を開く。
この状況下ならすぐに繋がるはずだ。
あちらも忙しいだろうが、こっちだって重要な用件だからこそ繋げる。
もちろん、誰に通信を? なんて問うのはバカらしい。
呼びかける人は決まりきっている。
「フェイト」
『……ユーノ?』
通信画面を見るに機動六課周辺だろうか。
未だ外にいるフェイトと通信が繋がった。
「エリオは僕が病院に運んでおいた。そこまで大きな怪我はないから、明日か明後日にはほとんど回復すると思う。キャロは今、僕と一緒にいるよ」
『そうなんだ』
子供達の安否が分かってほっ、とした表情をフェイトが浮かべる。
ユーノが側にいるなら、子供達も安心するはずだ。
「そっちの様子はどう?」
『いろいろ大変。怪我人はたくさんいるし、六課も……』
ぐっ、と唇を噛み締める。
「……ごめん。僕もそっちに残ればよかったのかもしれない。けど……」
それでもユーノは子供達といることを選んだ。
『分かってるよ。こっちは私に任せて。エリオは病院なんだよね? そしたらキャロのこと、お願いできる?』
「ああ、そのことなんだけどさ。キャロは今夜、僕の家で面倒を見るよ」
『どうしたの?』
「キャロ……さっきまでずっと泣いててね、それで泣きつかれて寝ちゃったんだ」
『……そっか』
「でね、その時から手を離さないんだ」
フェイトに服をつかんだままのキャロの手を見せる。
「ずっと…………離さないんだよ」
何回か握り締められた手を解こうとしても、一向に解けない。
まるで怖いものから安心したいかのように、強く握り締めている。
「だから今日は僕の家で寝かせることにしたんだ」
『了解だよ』
「明日、キャロを連れて病院に行くから」
『うん』
「それじゃあ、君も疲れてると思うから今日はこれで終わりにするね」
そう言ってユーノは笑顔を見せる。
「またね、フェイト」
『またね』
互いに手を振る。
数秒後、通信画面がプツリ、と途切れた。
「…………ふぅ……」
ユーノは一つ、息を吐く。
「フェイトもだいぶ堪えてたな」
映像上では平静を保っているように見える。
会話でも冷静になっているように思える。
──表向きは普通そうだったけど……。
ユーノにしてみれば、表向きの表情からでも辛そうにしているのは分かった。
「明日、フェイトに会わないとな……」
彼女が辛いのであれば、支えてあげたい。
──支えたい。
本気でそう思う。
「…………ん……」
と、その時だった。
ピクリ、とキャロのまぶたが動いた。
「……………おとーさん……?」
キャロが薄っすらと目を開ける。
ゆっくりとした様子で左右を見回す。
「………………おとーさんの家……?」
「そうだよ」
真上からキャロの顔を覗き込む。
「少しは落ち着いた?」
「……はい」
キャロが返事をする。
「よかった」
ユーノはキャロの体をゆっくりと起こしながら、優しく微笑む。
そして彼女の握り締められた手のひらを、ゆっくりと解いていく。
「そしたら、まずはお風呂に入っておいで。話はそれからしようか」
時折ユーノの家に泊まるキャロは、いつ泊まってもいいように寝巻きだけは置いていた。
だから風呂から上がると、キャロはパジャマに着替えてリビングへと出てきた。
ソファーに座っているユーノの隣に、キャロはちょこんと座る。
「フェイトは大丈夫。さっき通信で話したけど、怪我はどこにもないみたい。エリオも病院の先生が言ってくれた通り、明日か明後日には回復するし、フリードも軽傷だよ」
「そうですか」
「ただ、他の六課の人達はまだ分からない。この状況だから怪我……人によっては大きな怪我をしてることは考慮しておこう」
「……はい」
「でもね、きっとみんな大きな怪我はしてないよ。フェイトがいるし、なのはがいる。それにはやてや皆がいるんだから」
「……そうですよね」
今のところ分かってるのは家族の安否のみ。友人達がどうなっているのか、ユーノとキャロはまだ分からない。
「今夜ここで休んだら、明日一緒に病院に行こう。一応の検査と皆のお見舞いにね」
「……分かりました」
ユーノが笑顔を浮かべて話しかけてくれるから、キャロも頑張って笑顔を作ろうとする。
「……あ、あれ?」
が、上手くいかない。
「無理しなくていいんだよ」
「……で、でも……」
「大丈夫。今はそれでいいんだ」
ユーノはそんなキャロの様子を見ると、隣にあった小さな体を持ち上げて膝の上に乗せる。
そして上から、優しく包むように抱きしめる。
「今日はゆっくり休もう。そうすれば明日から笑えるようになるから」
きっと今は色々なことがたくさんありすぎて、心が上手く処理しきれていないだけだから。
少し休めば、またいつものように笑えるはず。
「……けれど、今笑えなかったら笑えるかどうか分からないじゃないですか。明日からたくさん大変なことがあって、その中には悲しいことも辛いこともきっとあるのに……」
今笑えないのに、明日から笑えるか分からない。
これから大変なことがたくさん“やってくる”のに。
「それなのに、どうして笑えるんですか……」
ぎゅっ、とユーノの両腕を握る。
笑う自信がなかった。
「じゃあさ」
すると、ユーノはそんなキャロに微笑んで、
「キャロが笑えるために、これから突き付けられる『たくさんの大変なこと』から、自分がどうしたいかを考えよう」
「……え?」
「大変なことを“受け取る”んじゃなくて、大変なことをキャロが“選んで”いこう」
受動的ではなく能動的に。
“受ける”ではなく“選ぶ”。
「まず、キャロはこれからどうしたい?」
「これから……?」
「うん、これから」
「えっと、まずは皆さんのお見舞いに行って……」
うんうん、と頷きながら聞くユーノ。
「次に何をするの?」
「きっと大きな戦いがあると思うので、その準備をします」
おそらく、ではあるけれど大規模な戦闘が行われるはずだ。
今回の様相からして、後々起こることは容易に想像できる。
「その戦闘に参加して何をする?」
「何を?」
「誰かを守りたいのか、何かを壊したいのか、命令されるままに任務を遂行するのか。それとも別のことをしたいのか」
君自身がどう行動するのかを、君自身が決めよう。
「キャロはさっき、自分の感情に任せて召喚をしたよね?」
「……はい」
「だったら戦場で、また同じことをする?」
「…………え……?」
「感情に任せてヴォルテールを召喚するの?」
キャロはふるふる、と首を振る。
「じゃあ、次に戦場へ行ったら何をしようか?」
ユーノに言われて、キャロは考える。
自分は何をしたいのか、を。
──私は……どうしたいの?
ふと、目を瞑る。
そして数秒ほど目を瞑ったまま考える。
けど、答えなんて……すぐ“そこ”にあった。
簡単に見つかった。
目を瞑れば“そこ”にある。
──もう分かってるよね。
そう、今一度思い出すのは始まりの想い。
最初から心の中心に据えてあるこの想い。
ユーノとキャロが出会う切っ掛けとなった、最初の想い。
「エリオ君に負担を掛けないために、私のやり方でエリオ君を護ります」
これが今度の戦場で自分がやること。
「あと、もう一つ」
この間会った時から浮かんだ感情がある。
「何かな?」
「……たぶん、あの子も出てくると思うから。だからその子と友達になりたい」
「君達と同い年の女の子……だったっけ?」
こくり、とキャロは頷く。
「私はあの女の子と友達になりたいんです」
「どうして?」
「召喚魔法を使うし、同じくらいの歳だから……」
自分と類似している部分がある少女。
「スカリエッティに手を貸す理由は分からないけど」
なぜ手を貸しているのかは分からない。
「それでも、私は友達になりたいんです」
彼女と友達に。
「……………………」
けれど、キャロの想いとは裏腹にユーノは難解そうな表情を呈した。
「それは……難しいよ。おそらく彼女は自分の意思でスカリエッティに手を貸してる。良かれ、悪かれは別としてね」
理由があろうとなかろうと、手を貸している。
「しかも管理局という軍に所属する者として、敵に対してそんな考えで戦闘に参加するの?」
ユーノはまるでキャロに対して、何かを“試す”かのように訊く。
「キャロは敵として相対する者に友人になろうと言うの?」
味方を護ることは分かった。
けれどもう一つはどうだろうか。
市民を脅かす敵を相手にして「友達になろう」と言うのは、管理局に勤めているものとしてはどうなのだろう。
──キャロはどっちを選ぶ?
『管理局のキャロ・ル・ルシエ』として答えを出すのか、それとも『ただのキャロ・ル・ルシエ』として答えを出すのか。
その選択の場面。
「…………それは………………」
キャロはぐっ、と言葉を少しだけ詰まらせる。
「…………分かってます」
「本当に?」
「……分かってます」
「可能性はほとんどないよ?」
「分かってます」
「それに──」
「──それでも、分かってます!!」
ユーノの言うことを遮る。
遮って、自分の考えを通す。
「分かってますけど、友達になりたいんです……」
声が震える。
心配してくれている父親を遮っての告白。
嫌われるんじゃないかと考えると、怖い。
でも、
「自分の気持ちに嘘は吐きたくないんです」
心の内を打ち明ける。
この感情はロジックじゃないから。
だからありのままの気持ちをユーノに伝えることしかできない。
「譲れないの?」
「譲れません」
言い切る。
大好きな父親だからこそ、正直に。
「……そっか」
ユーノは一つ、相槌を打つ。
怒られると思ってビクリ、とキャロの体が一度震えた。
けれど、
「じゃあ、手を伸ばそうよ」
「え?」
違った。
父親から返ってきたのは、予想外の返答。
キャロは思わず振り返ってユーノの顔を見る。
大好きな笑顔がそこにあった。
「その子と友達になりたいんだったら、『私は貴女と友達になりたいよ』ってキャロから手を伸ばそう。キャロがその子と『絆』を結びたいことを、その子に教えてあげよう」
怒ることもなく、嗜めることもなく、笑顔で同意するユーノ。
「自分の名前を言って、相手の名前も教えてもらおう。彼女が手の伸ばし方を知らなかったら、それも教えてあげよう。あの歳でスカリエッティと関わっていることは、多分友達の作り方もよく分かってないと思う」
ユーノはキャロが言ったことを、どこも否定せずに頑張れと応援する。
「……おとーさん」
「君が教えてあげるんだ。友達の作り方も絆の作り方も」
「私が?」
「そうだよ。4月に初めて同年代の『友達』が出来たキャロだからこそ、出来ることだと僕は思う」
友達が出来る喜びを知って間もないキャロだからこそ、教えられる。
「それで、その子のためにしてあげたいと思ったことがあったら、それをしてあげよう。助けたいと思ったら助けよう。協力したいと思ったら協力してあげよう」
何かをしてあげたいと感じたのなら、損得無しで行動する。
「それが『友達』だよ」
そこまで言うと、ユーノはキャロの表情を見て可笑しそうにした。
「呆けた顔してどうしたの?」
「……あの、怒らないんですか?」
「どうして?」
「だって私は軍属なのに、こんな自分勝手な……」
キャロの言うことにくすくす、とユーノは笑う。
「関係ないよ。キャロがやりたいことをやればいい」
「いいんですか?」
「もちろん。僕にとって重要なのはキャロが何をしたいか、だけだ」
それが最優先事項。
「だから僕はキャロがエリオを守りたいと思う気持ちを応援するし、女の子と友達になりたいことも咎めないよ」
キャロがそうしたいのであれば、ユーノは咎めない。
というより、実際はそれ以前の問題だ。
「まあ、本当は戦闘に参加して欲しくないんだけどね」
これが本音。
「その点に関して、今回だけは頑張って目を瞑るよ」
「あ、ありがとうございます」
キャロが慌てて感謝する。
「ということで、キャロがこれからやりたいことは分かったよね?」
「はい」
「自分で選んだことなら、きっと心の負担も軽くなるよ」
出来事に流されるよりは、出来事を選んだほうが精神的に心構えが出来る。
前者より後者のほうが、後悔もしなくなる。
「そしたら、次は僕がキャロにやって欲しいことを言おうかな」
「おとーさんが私にやって欲しいこと?」
「やって欲しいよりは、お願いのほうが正しいかな」
本当に小さな、父親としての願い。
「何ですか?」
「絶対に戻ってくること、怪我をしないこと、とかは言わなくても分かるよね」
キャロは素直に首肯する。
「だから、もうちょっと先のことをお願いするね」
「先のこと……ですか?」
何を言われるんだろう、とキャロは興味を持つ。
ユーノはそんなキャロに向けて、予てから考えていたことを伝える。
「来年の4月になったら、キャロとエリオには学校に行ってもらいたいんだ」
「……学校……ですか?」
考えもしなかったお願いに、驚きの表情をキャロが浮かべる。
「そうだよ。キャロもエリオも『軍』というところに関わるには……いや、関わりたいと思うのは、もうちょっと後でもいいんじゃないかなって思う。何より僕自身が二人に学校に行って欲しいと強く願ってる」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
自分と同じ道は通ってほしくないと、キャロ達の父親だからこそ願う。
特にキャロは一度も学校に行ったことがないから、より強くユーノは思う。
「あと、もう一つ」
それにほんのちょっとだけ関連しているお願いがもう一つある。
「家族みんなで一緒に暮らさない?」
「一緒に?」
「そうだよ。僕とフェイトとキャロとエリオの四人で、同じ家で暮らそうよ」
同じ家にいなくても『家族』ではあるけれど、やっぱり『家族』だからこそ一緒に暮らしたい。
「……一緒に…………暮らす……?」
不思議そうにキャロは言葉を口にする。
「…………一緒に暮らす……」
家族と同じ家で一緒に住むことを想像ついていないのか、確かめるように呟く。
「僕とフェイトはね、キャロ達と一緒に暮らしたいって思ってるよ」
そのためにフェイトは努力してる。
「キャロはどうかな?」
強要はしない。
無理やり暮らそうとは思わない。
──だけど。
だけれども。
もし叶うならば──
「…………はい」
こうやってキャロが返事してくれることを、ユーノは願っていた。
「はい! 私もおとーさん達と一緒に暮らしたいです!」
キャロがとびきりの笑顔をユーノに見せる。
「……ありがと、キャロ」
ぎゅっ、とキャロを抱きしめる。
「お、おとーさん。ちょっと痛いですよ」
「だってキャロが『一緒に暮らしたい』って言ってくれたことが嬉しいし、それに……」
「それに?」
「ほら、笑えるようになったじゃないか」
ついさきほどまでは笑えないと言っていたのに、今はもう笑顔になってる。
ぷにぷに、とキャロのほっぺたを突つく。
「だってそれはおとーさんが嬉しいことを言うから……」
と、ここで気付いた。
「……もしかして」
ユーノの顔をマジマジと見る。
「本当は今度言うつもりだったんだけどね。キャロ落ち込んでたし、休んでも笑えるか分からない、なんて言われたからさ。色々と綱渡りだったけど、上手く喜ばせることが出来てよかったよ」
一つずつゆっくりと……ではなく、全部の問題を一回で解決する。
一番効率よく、一番上手くいくやり方ではあるけど、一番危うい解決方法。
けれども成功して、本当によかった。
「──よし。それじゃあ最後に、おとーさんからキャロがずっと笑えるように…………不安にならないようにおまじないをしてあげよう」
膝の上に乗っけていたキャロを隣に降ろす。
「はい、こっち向いて」
言われたとおりにキャロがユーノの方を向く。
ユーノはキャロの前髪をそっと上げておでこを出すと、
そこに軽く口唇で触れる。
「これがおまじないだよ」
キャロの額から離れると、ソファーから立ち上がる。
「さて、ご飯にしようか。あまり食べたくはないだろうけど、ちょっとは口にしたほうがいいから」
けれどそこで、
「──っと、僕はその前にお風呂に入ってくるね」
まだ風呂に入っていないことに気付く。
キャロにひらひら、と手を振ってユーノはリビングを出て行く。
残されたキャロはキスされたおでこに手を当てる。
「……おでこに『ちゅー』されちゃった」
こんなことをされたのは初めてだった。
誰にもされたことのない親愛表現を、父親にしてもらった。
「えへへ」
こそばゆくて、照れくさくて、嬉しくなった。
◇ ◇
「さっき思ったんですけど、私も『スクライア』になるんですか?」
並べた布団に入ると、キャロがそんなことを訊いてきた。
「……ん〜、どうしようか?」
ユーノは横を向いてキャロと向き合う。
「確かにそうなってくれたらな、っていう気持ちはとってもあるよ。けど、キャロが今のファミリーネームを大事にしたいって思うなら、無理にとは言わない」
無理やり同じファミリーネームにしたいとは思わない。
残すことも出来るのだから、強制はしない。
「私はおとーさんの娘ですし、『スクライア』になれたらすごく嬉しいですよ」
キャロが当然のように答える。
「……ありがとう。ただね、名前に関することだし早急に答えを出すことはよくないと思うんだ」
その人を表す言葉だからこそ、簡単に変えてはいけないとユーノは思う。
「だから一度、真剣に考えてもらっていいかな?」
「はい」
「キャロが考えた上で出した答えが、僕と同じ『ファミリーネーム』になることなら…………」
自分を父親と認めて、家族と認めて、尚且つ一緒のファミリーネームを名乗ってくれるなら、それほど嬉しいことはない。
──僕はキャロのおとーさんだけど……。
どれほどのことをしていいか、まだ完全に分かってはいないから。
──あの子の大事な『名前』を変えてしまうことを、僕が決めてしまっていいのか判らない。
だから訊いた。
自分は判断が出来ないから、あの子に任せた。
まだ10歳のキャロに選択させることは、重荷になってしまうかもしれないのに。
「おとーさん、どうしたんですか?」
不意に黙ったユーノにキャロが尋ねる。
「いや、ね。この難しい選択をキャロにさせるのは、もしかしたら僕の『逃げ』なんじゃないか。父親なのにこんなことでいいのかな、って思ったんだ」
キャロの父親であることは間違いない。
キャロが娘であることも間違いはない。
──けれど、どうすることが父親として最善の判断がどれなのか僕は……分かってない。
それは19歳の、大人になりきれていないユーノの見せる弱い部分。
未だ青年の域を出ない彼が、持っていて当然の部分。
「あの……」
と、その時だった。
くいくい、とキャロに服を引っ張られた。
「おとーさん」
「どうしたの?」
「おとーさんは『私のおとーさん』ですよね?」
キャロが唐突にそんなことを訊いてきた。
「そうだよ」
「私は『おとーさんの娘』ですよね?」
「そうだよ」
ユーノが答える。
するとキャロは、無垢な笑顔をユーノに向けた。
「だったらおとーさんは『私のおとーさん』なんですし、自分の判断にもっと自信を持ってくださいよ」
「…………え……?」
……本当に不意打ちだった。
ユーノの心臓が──ドクン──と鳴る。
「と、突然どうしたの?」
図星を突かれたことにユーノは動揺する。
「あの、よく分からないですけど、おとーさんが今……不安そうな顔してたから」
顔をしていた……というよりは、そんな“感じ”がした。
「だからなんとなく、自信がないのかなって思って……」
理論も理屈もないけれど、そんな風に思った。
「だから、その、えっと…………あれ? ご、ごめんなさい。変なこと言ってますよね、私」
「いや、そんなことないよ」
何も変なことは言っていない。
キャロの言ったことは合っている。
そして合っているからこそ、
──ホント、僕達って親子なんだな。
ということを、さらに実感できた。
「よく分かったね?」
「だっておとーさんの子供ですから」
だから気付けて当然だった。
まだ数ヶ月しか父親を持っていないけど、娘だからこそ気付けた。
まだ数ヶ月しか娘として認識されていないけど、娘だからこそ気付いてくれた。
そこに偶然なんて存在しない。
「……ありがと、キャロ。おかげで自信が出たよ」
もう自分の選択に自信は無くさない。
いつまでもキャロの父親で在りたいから。
キャロにとって最高の父親でいたいから。
──だからもう、迷わない。
「キャロ」
「はい?」
ユーノはあどけない表情をしている娘に笑顔を見せる。
「今日はもう、ゆっくり休もうか」