無言の空間の中、ティアナのペンの音だけが室内に響いている。
そんな静寂な空気の最中、ユーノがティアナに声を掛けた。
「ねえ、ティアナさん」
「なんでしょうか、ユーノ先生?」
「やりにくくないですか?」
ユーノは言いながら、ある一点の方向に意識を向ける。
「やりにくいというか…………正直に言うなら、非常にうっとおしいです」
「ですよね。どうせなら教えてくれればいいのに、何をやってるんだか」
同意見の二人は、互いに机に向かいつつも意識を同じ場所に向ける。
二人が気にしているのは、ソファーに隠れながら二人のことを監視している人物達。
「「…………はぁ……」」
ユーノとティアナは同時に溜息を吐くと、ソファーの方へと振り向いた。
「……ハラオウン執務官」
「……ヴァイス陸曹」
声を揃えて、隠れている二人に告げる。
「二人はいったい何してるんですか?」
「二人はいったい何してるんですか?」
『My family』外伝
── study ──
「で、二人はいったい何をしてるんですか?」
「私は……その……見回り?」
「俺は……なんだ。あれだ、あれ」
「いったいどれですか?」
「あ〜……見回り?」
「いったい何の見回りなんですか!?」
ティアナがフェイトとヴァイスを一喝する。
「だってユーノとティアナが一緒の部屋で勉強するって言うし……」
「お、俺は別に心配とかじゃなくて……」
二人とも、さらに言い訳をしようとする。
ユーノは溜息を吐くと、
「……大人しくしててくださいよ?」
「それはもう! なあ、フェイトさん!」
「うん。私達、大人しくしてるよ!」
二人が凄い勢いで頷いた。
「ティアナさん、続きを始めましょう。分からないことがあったら、是非言ってくださいね」
「分かりました」
しばらく無言の状態が続く。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
ティアナのペンの音と同時に資料の本をまとめる音がする。
ユーノが無限書庫に本を返すために席を立った。
そしてティアナの後ろを通って移動しようとしたとき、不覚にも彼女の右ひじに体が当たってしまった。
カツン、とペンが地面に落ちる。
「すみません、すぐに取りますね」
「いえ、私が落としたんですから」
互いが地面に手を伸ばし、
「あっ」
「あっ」
うっかりと指が触れ合った瞬間だった。
「──ッ!」
風を切るような音が二つ、ユーノの耳に届く。
同時に髪の毛が数本、はらりと宙を舞いながら落ちていく。
ふと、ティアナと目が合った。
彼女の髪の毛も数本、落ちていた。
「……大丈夫ですか?」
「……一応は」
「……何してくれるんでしょうね、あの二人は」
嘆息して、ユーノは二人に視線を向ける。
「ハラオウン執務官、ヴァイス陸曹。今のは何でしょうか?」
目の前に通り過ぎていった砲撃について、ユーノは尋ねる。
「ね、狙ってないよ! たまたま魔法を使ったらティアナの方向に飛んだじゃっただけだよ!」
「じ、銃の手入れをしてたら偶然暴発しちまったんですよ」
各々があまりにも無理のある言い訳をする。
「気をつけてくださいね?」
にっこりと、寒気のするような笑顔をユーノが向けた。
「も、もちろんです、先生!」
「わ、私ももちろんだよ!」
先ほどと同じように、二人が頷いた。
「……はぁ」
ユーノは溜息を吐くと、無限書庫に本を返しにいった。
ユーノが新しく本を持ってきて、それを資料にしている最中だった。
「あの、ユーノ先生。ここなんですが……」
ティアナが分からないところをユーノに見せてきた。
ユーノはティアナの手にある問題を覗き込むために、少しだけ顔をティアナに寄せる。
「……ああ、ここですか。これはですね──」
答えようとした瞬間、豪風がユーノの横を掠めて通り過ぎた。
「………………」
「………………」
ティアナとユーノが後ろを見てみると、結界にめり込んでいる二つの砲撃が存在している。
前を見れば、なぜかヴァイスの銃口から煙のようなものが存在しており、フェイトの手にはバルディッシュが存在している。
瞬間、ティアナが怒鳴る。
「ヴァイス陸曹! 一体なにを──!」
が、ティアナが言おうとした瞬間、ユーノが手で制した。
「ユーノ先生?」
「僕に任せてください」
ユーノはティアナにそう言うと、
「………………ヴァイス陸曹、ハラオウン執務官」
名前を呼びながら、二人にゆっくりと近づいていく。
「お二人は司書長室を壊すつもりなのでしょうか?」
「い、いや、そ……それは……」
「そ、そういうわけじゃ……ないけど」
静かに怒るユーノに目を伏せるフェイトとヴァイス。
「なら、どういうわけですか?」
ユーノが問い詰める。
「……………………だもん」
フェイトが小さな声で、ぼそりと呟く。
「ハラオウン執務官? 何か言いましたか?」
「な、何でもないよ!」
誰にも聞かれていないと思っていたことを訊かれて、フェイトが少し焦る。
「まあ、とりあえずお二方は僕が言いたいこと、分かってますよね?」
「……い、一応は」
「……うん」
「それはよかった。分かっているのならどうぞお帰り願います」
と言って、ユーノは出口を指し示す。
少しだけ出て行くのを躊躇おうとするフェイトとヴァイスだったが、ユーノの迫力に負けてしぶしぶ司書長室から追い出される。
「今後、ティアナさんが勉強をするときにお二人は入室禁止ですので」
ユーノは言い切ると、ドアを閉める。
司書長室の中に戻ると、ティアナが驚いた表情を浮かべていた。
「結構言うんですね、ユーノ先生も」
「まあ、たまにはね。砲撃してきたんですから、これぐらいのお灸を据えても問題ないでしょう」
「いいんですか? フェイトさんのこと」
「あれじゃ僕も仕事どころじゃありませんし、ティアナさんも勉強どころじゃありませんからね。当然の処置ですよ」
「拗ねませんか?」
「拗ねるでしょうね、ほぼ間違いなく」
この後の展開が容易に想像できる。
「ヴァイスさんはどうなんです? 付き合ってまだ日が浅いですけど、大丈夫ですか?」
「ユーノ先生が言わなかったら私がもっときつい言葉で言ってましたよ。それに、これぐらいでどうこうなるような関係ではないつもりですし。……ただ、少しはフォローしないとな、とは思いますけど」
「お互いに今日は恋人のご機嫌取りになりますかね?」
「私はそうでもないと思いますけど、ユーノ先生は頑張ってくださいね」
「鋭意、努力しますよ」
ユーノが言うと、互いに笑みが浮かぶ。
「続きをしましょう。ただ、今日は初日ですから少し早めに切り上げましょうね。互いにほっとけない相手がいますから」
「そうですね」
◇ ◇
そして、仕事と勉強が終わる。
── 機動六課、食堂 ──
六課の食堂で平謝りしている青年と、それを半眼で冷たく見ている少女の姿がある。
「わ、悪かったって」
さきほどから何度も、ヴァイスがティアナに謝っている。
「私だけならまだしも、ユーノ先生にも迷惑を掛けたっていう自覚がないんですか?」
「だ、だからさっきから何度も謝ってるじゃねえか!」
ヴァイスにも一応、迷惑を掛けたという意識はある。
「それなら今度、ユーノ先生の言うことを一つ聞いてください。迷惑を掛けたんですから、一回ぐらいパシリになっても問題ないでしょう?」
「……分かったよ」
しぶしぶながら、ヴァイスが頷く。
「ちなみに私の言うことは10回ですから」
「はあっ!? ちょ、ちょっと待てお前! いくらなんでもそれはないだろ!?」
「聞く耳持ちません。それに、これぐらいのペナルティーじゃないと、ヴァイス陸曹はまた来そうですしね」
ティアナの言動に、ヴァイスは正直……反論ができない。
そうしないという保障もないから。
「ったく、分かったよ。お前の言うことを10回聞けばいいんだな?」
「ええ、そうです」
ティアナが満足そうに頷く。
「ということで、さっそく一つ目を使いますね」
「うわっ、さっそくか。……あんま変なことはやめてくれよ」
「大丈夫です。まっとうなことです」
「頼むぜ、マジで」
少し不安げなヴァイスを尻目に、ティアナは少しだけ勇気を持ってヴァイスに告げる。
「今度、デートしましょう」
── 無限書庫・司書長室 ──
ティアナにあわせて仕事を切り上げたユーノは、司書長室の外で膨れたままのフェイトと遭遇した。
ユーノはティアナに別れを告げながらフェイトを司書長室に招きいれる。
そして彼女をソファーに座らせたが、座ってから一向にユーノに近づこうとしない。
「フェイトもふてくされないでよ」
「だってユーノ、ティアナにばっかり優しい」
クッションを抱きかかえながら、少しだけ涙目で睨みつける。
「それにティアナに触るし、ティアナにくっ付くし、私には優しくないし、怒るし、追い出すし」
「僕は仕事しながらティアナさんを教えてたんだから、仕事の邪魔になることや彼女の集中力を妨げる要因を追い出すのは当たり前だろ?」
ユーノはお茶の準備をしながら、フェイトに反論する。
「それに、君がティアナさんを教えればよかったじゃないか」
「……そこまで頭が回ってなかった」
「なら、君の失態だよ。僕に文句言わないでよ」
「……うぅ〜」
ユーノは準備し終えたティーカップをフェイトの前に置き、彼女の隣に座る。
が、フェイトは逃げるように移動する。
「…………」
ユーノがフェイトに少し近づく。
すると、またフェイトが離れた。
ユーノは嘆息する。
「フェイト」
「……やだ」
ぷい、とフェイトがそっぽを向く。
「ユーノはティアナといちゃいちゃしてればいいんだ」
「いや、だから……」
「何を言ったってダメだからね」
釈明しようとするが、フェイトは聞く耳持たない。
──別に悪いことはしてないんだけどな。
ユーノはこの日、何度目になるか分からない溜息を吐くと、立ち上がる。
そしてソファーの後ろ側に回り込むと、未だにそっぽ向いているフェイトを後ろから抱きしめる。
「──ッ!?」
「はい、捕まえた」
驚いた表情を浮かべるフェイト。
だが、振り払わないところをみると嫌ではないのだろう。
「さて、ここで4択問題です」
突然ユーノがフェイトを抱きしめたまま問いかける。
無愛想な表情のフェイトの首が少し傾げられた。
「僕が好きな人はいったい誰でしょう?」
言って、ユーノは右手をフェイトの前に差し出し、人差し指を一本立てる。
「@、なのは」
次に中指。
「A、ティアナさん」
そして薬指を立て、
「B、はやて」
最後に小指を立てる。
「C、フェイト」
ユーノは問いかけ終わると、左手で少しだけ抱きしめる力を強くする。
「答えは?」
「…………」
「フェイト、答えはどれ?」
この状況下では、あまりに単純な問題。
それをユーノは尋ねる。
「……4番」
「うん、正解」
しぶしぶながら答えるフェイトの頬に、ユーノは自分の頬を寄せる。
かなり大胆なことをしていることを実感してか、だんだんとユーノの頬が赤く染まっていく。
が、ユーノは気付かれないように努めて、さらに言葉を口にする。
「フェイトのことが好きな僕としては、そろそろ君の機嫌が直ってくれると嬉しいんだけど」
前に出していた右手も使ってフェイトを抱きしめる。
「どうかな? 機嫌、直った?」
ユーノがフェイトに尋ねる。
「…………ぅぅ〜……」
フェイトは変なうめき声をあげながら、抱きしめられている腕にゆっくりと触れた。
「………………なおった」
「それはよかった」
「…………ずるいよ、ユーノ」
こんなことされたら、嬉しくて怒ってられない。
「僕は自分のお姫様のご機嫌取りを精一杯しただけ。まあ、僕はたいして悪くないのにね」
とは言うものの、しょうもない理由なだけに怒るに怒れないし、それにフェイトがふてくされた理由を鑑みると、嬉しいことは確かなのだからさらに怒れない。
「……しょうがないよ。だって、本当にユーノを独占したい気持ちでいっぱいなんだから」
「だからってあれはないんじゃないかな」
「ティ、ティアナには悪いと思ってるけど……」
感情が上手くコントロールできない。
特にユーノ関係は。
「これからも、ティアナさんと二人になることがあるのにな」
二人きり、という状況は多々あるわけではないと思うが、それでもたまにはそうなってしまうだろう。
「……それはイヤ」
「お互いに恋人がいるのに?」
「そういう問題じゃないよ」
ティアナがユーノに手を出さないということは分かっている。
その逆だってそうだ。
けれども、感情が納得しそうにない。
自分よりもティアナのほうがユーノと時間を共有しているのかと考えるだけで、胸に小さな痛みが奔る。
「じゃあ、どうしようか……なんて言ってもしょうがないか。ここは一つ、妥協案を出そう」
「妥協案?」
「そう。数多くはないけれど、数回ほどティアナさんと二人という状況になると思う。これはきっと不可避だよ。だからね──」
ユーノは一呼吸の間をつくり、
「我慢できたら、ご褒美をあげる」
告げる。
「えっと、どういうこと?」
「言葉通りの意味だよ。フェイトが我慢したら、僕が君にご褒美をあげる」
「な、何でもいいの?」
「僕に出来るかぎりのことだったらね」
可能ならば、何だって叶えよう。
「これならいい?」
どうせユーノとティアナが二人になったところで何もない。
つまり重要なのは、それを良しとしないフェイトの想いを留めるリミッターとなるようなものを存在させること。
「……えと……」
フェイトは少しだけ考えると、こくりと頷く。
「それなら、我慢してみる」
どうやらこの条件で納得してくれたようだ。
「普通ならこんなことしなくていいと思うんだけど、僕の大事な人はそれじゃ駄目みたいなんだよね」
嬉しいことに代わりはないけれど。
「ユーノはどうなの? 私がユーノ以外の人と二人きりでいたら嫌じゃないの?」
フェイトからきた唐突な質問。
ユーノは笑って答えた。
「そんなの嫌に決まってるさ。仕方ない、という言葉で片付けようなんて露も思わない。でも、君よりも僕のほうが自分を抑制する術を知ってるから一応、何も言わないけどね」
「そうなの?」
「そうだよ。ほら、告白のときだって自分の感情に耐えられずにいろいろと言ってきたのはフェイトだったじゃないか」
「……確かに」
「というわけで、僕だって気持ちが分からないわけじゃないよ」
ユーノはフェイトを抱きしめていた両腕を解くと、ソファーの前に回って再び彼女の隣に座る。
今度は移動されなかった。
ほっとしたユーノはテーブルに置いてあるティーカップに手を伸ばして、一口含む。
心なし渋い感じがした。
フェイトも同じように紅茶に手を伸ばし、口にする。
そして一つ、息を吐く。
「……あれ?」
その瞬間、フェイトは何かに気付いた。
「ねえ、ユーノ」
「どうしたの?」
「私って今、ユーノの条件をクリアしたよね?」
フェイトが言った瞬間、虚を突かれた表情になるユーノ。
「……はい? え? ちょ、ちょっと待って!?」
ユーノが慌てると同時に、逆にフェイトは勝ち誇ったような表情になる。
「たった今ティアナとユーノが二人っきりだったのを我慢したんだし、条件クリアだよ」
「い、いや、だからフェイト。あのね──」
「なに?」
もうご褒美をもらえると確信しているフェイトの表情は輝いている。
そんな彼女を前にして「今度からだよ」と言えるほどユーノは強くない。
つまりは、だ。
「……どうぞ、ご希望を」
こう言うしかなかった。
「それで、これがご褒美でいいの?」
「うん。前は寝てたし偶然だったから、今度はちゃんとしてもらいたいなって思って」
ユーノは太ももの上にある黄金色の髪を梳く。
くすぐったそうにフェイトが目を細めた。
「確かに滅多にやることじゃないね、これは」
ソファーに横たわるフェイトと、彼女の頭の下敷きになっているユーノの太もも。
つまり今やっているのは、ひざまくら。
「……なんか立場が逆のような気もするけど」
ユーノは呟くように一人ごちるが、フェイトは彼のひざまくらを堪能して聞いていない。
本当に嬉しそうなフェイトに、ユーノも表情が緩む。
──まあ、いいか。
彼女が幸せそうなら、ユーノとしても何も問題はなかった。