4月から無限書庫に勤め始めて、はや1ヶ月。
5月中旬で深緑真っ盛りの今日このごろ、私は司書長の家に“偶然”という名目でやってきました。
理想の上司であり、憧れの男性。
恋愛対象とは言いがたいが、もしも告白されたら二つ返事で了承してしまうだろう。
そんな人の家。
──ここが司書長の家なんだよね!
一度気合を入れて、ブザーを鳴らす。
家の中からパタパタ、とした足音が玄関へ近づいてきた。
そして──カチャリ──というドアを開ける音と一緒に、
「どちら様ですか?」
知らない女性が……出てきた。
金髪の美しい女性にリビングまで案内された。
「すみません、昨日は知り合いの先生と飲んでいたので帰りが朝になってしまったんです。ですからちょっと待っててくださいね。今、着替えてますから」
「は、はい」
「紅茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「えっと……コ、コーヒーのほうで」
女性はキッチンに行くと、慣れた手つきでお湯を沸かし始めた。
──誰なんだろう?
司書長と親密な女性がいるとは聞いたことがない。
一番妥当なラインで考えるのならば、恋人だが……
──ち、違うわ! 同じ金髪なんだから、きっと親戚の誰か!
そうだ。
司書長の妹さんがよく無限書庫に来ているのだから、もしかしたら司書長の従兄妹さんなのかもしれない。
彼の家にいるのもそれが理由だから。
彼女は無理やり結論付ける。
と、ここでさっきの女性が戻ってきて、お茶を目の前においてくれた。
「あ、ありがとうございます」
彼女が感謝すると、女性はにっこりと微笑んで向かいの席に座った。
「お仕事のお話ですか?」
「え、ええ。ちょっと司書長に訊きたいことがあったのですけど、たまたま司書長の家の近くを通ったので、ついでに訊いてしまおうと思ったんです」
彼女がそう言うと、目の前の女性は「そうですか」と愛想よく笑った。
「ユーノ先生って無限書庫ではどういう人なのか、訊いてもいいですか?」
「司書長はすごく優しい人です。それでいて仕事も司書の中で誰よりも出来ますし、とにかく凄い人だって私は思います」
自身の感想を女性に伝える。
すると目の前の女性は、
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
本当に嬉しそうに笑った。
まるで自分のことのように。
「……わぁ……」
その笑顔が本当に綺麗で、彼女はうっかり感嘆の声を漏らした。
「どうかしましたか?」
「な、何でもないです!」
ぶんぶんと手を振る。
──ま、まずいわ。さすが司書長の親戚? の女性。うっかり見惚れちゃった。
スペックの高さはさすがだ、と彼女が関心していたときだった。
ユーノがリビングにやって来た。
「ごめんね、まだ着替えてなかったから。それで用事って何かな?」
ごく自然に女性の隣にユーノが座る。
「えっと、その……ここの部分なんですけど……」
データをユーノに見せる。
「ん〜……ああ、これはこうして──」
ユーノの説明が始まる。
書類を指差しながら、何処をどうすればいいのかを彼女に丁寧に教え始めた。
そして5分後、おおよその説明が終わった。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
「いえ、困ったらいつでも相談してください。まだ司書になって1ヶ月も経っていませんから、色々と大変でしょうし」
「新人の司書さんなの?」
女性がユーノに彼女について問いかける。
「うん。4月から新しく入ったんだよ。一昨年のスカリエッティ事件以降、無限書庫も少し忙しくなったから、今年も例年よりも多い5人ほど増員されたんだ」
「ユーノは……じゃなくてユーノ先生はいつだって無限書庫にいるわけじゃないですからね」
「そういうこと。彼女はやる気があるし、あと1、2ヶ月もすれば完璧に仕事は覚えるよ」
「あ、ありがとうございます」
ユーノに褒められたことが嬉しくて、彼女は頭を下げる。
──あ〜、やっぱり司書長って優しいな。
頬が緩みそうになるのを必死でこらえる。
だが。
ここからが始まり。
玄関のドアが開く音がしたと思ったら、パタパタとリビングにやってくる二つの足音が彼女の耳に届いた。
リビングのドアも近づいてくる足音の主によって開けられる。
「ただいま!」
「ただいま帰りました!」
「……え?」
瞬間、彼女が目を丸くして驚く。
そこには10歳前後くらいの男の子と女の子がいた。
「お帰り、二人とも」
「お帰りなさい」
ユーノと女性が返事をしたところで、赤い髪の男の子と桃色の髪の女の子が彼女のことに気付いた。
「お客さんですか?」
「うん、僕の同僚の人だよ」
「あ、お父さんの同僚の方なんですか」
ユーノの説明に、男の子と女の子が彼女にペコリと頭を下げる。
彼女もつられて会釈をした……が、
──って、ちょっと待って!? お、お父さん!?
内心ではパニックに陥っていた。
「二人はこれからお出かけ?」
「はい、友達と遊んできます」
「ん、夕飯には遅れないようにね」
「わかってますよ」
などと、彼女のパニックなどお構いなしに四人は会話を交わしていく。
「二人とも、今日の夕飯のリクエストはある?」
「僕は母さんの作るものだったら何でも」
「私はニンジン以外だったらいいです」
「もう……、駄目だよ二人とも。そういう答えが一番困るっていつも言ってるのに」
「じゃあ、今までで食べたことのない料理で」
少年が言い直すと、女性は困ったように笑って、
「……しょうがないな。今日の夕飯は新作料理のお披露目にするよ」
二人に頷いた。
男の子と女の子の二人は女性との話を終えると、自室に荷物を置いてすぐに玄関に舞い戻り、
「行ってきます!」
「いってきまーす!」
と、勢いよく出て行った。
「……い、今のは……?」
あまりに展開に目を丸くする彼女。
「すみません。いきなり騒々しくなって」
「い、いえ。それは別に構わないんですが……」
彼女はそう言って、子供達が去っていったドアを見る。
「し、司書長、先ほど『お父さん』と呼ばれていたような……」
「あれ? 言ってませんでしたか。僕はあの子達の──エリオとキャロの父親なんですよ」
「き、聞いたことなかったです」
「君が入ってからも、あの子達がお弁当を届けに来てくれたこともあったんですが、ちょうどシフトが合わなかったようですね」
「ず、ずいぶんと大きなお子様で」
「養子なので10歳しか離れていないんですよ」
ユーノの説明で二人の子供については分かった。
が、本命はそこではない。
「それでその……こちらの方は『お母さん』と呼ばれてましたが……」
「あの子達が言った通りの意味です。キャロとエリオの母親ですよ」
「──ッ!?」
ユーノから告げられた衝撃の事実に開いた口が塞がらない。
「ということは、お二人は……その……」
彼女の恐る恐るといった問いかけに、ユーノは驚きの表情を浮かべた。
「言わなかったの?」
ユーノが確認すると“女性”は頷いた。
「そうでしたか。では、紹介させていただきますね」
右手で軽くユーノは女性を示す。
「妻のフェイトです」
告げた瞬間、フェイトの顔がほんのりと赤く染まる。
代わりに彼女の表情はあんぐりとしたものとなった。
「2ヶ月ほど前に入籍と挙式を済ませたんですよ」
本当に嬉しそうに話すユーノに比べて、衝撃の事実に驚きを隠せない彼女。
「おっ、おく、奥様であられましたか!?」
「いつも主人が御迷惑をお掛けしています」
「い、いえいえ! 私のほうこそ、司書長にはお世話になりっぱなしで」
互いにペコペコと頭を下げる。
「考古学士と兼任でやっているので、司書の方が主人をどう思っているのか少しばかり気になっていたんです。一応、私の使い魔も無限書庫で働いてはいるんですが、家にいることも多いので」
「使い魔って……えっと、もしかして」
「ええ、アルフの主人なんですよ」
「そ、そうだったんですか!?」
さらなる事実を知らされる彼女。
「私、何も知らなかったです……」
「今まで仕事の話しかしてませんでしたからね」
それに、真面目な彼女は仕事を覚えるのにも必死になってくれていた。
だから知らないのも無理はない。
とはいえ、彼女は精神がメタメタに潰されたような気分だ。
無限書庫に入ってから1ヶ月ちょっと。ヴィヴィオという姪っ子がいる以外には、司書長には大した噂がない……というか聞いたことがなかったから。
さすがにこんなオチは予想してなかった。
──司書長には奥さんがいて、お子さんがいて、さらには奥さんの使い魔が一緒に職場にいて……。
なんかもう、最初から勝ち目がないというか、勝負すらできてないというか、同じ土俵にすら立ってないというか、可能性なんてもの存在していないというか、『もしかしたら』なんてことをどうして考えたのかっていうか、妄想は妄想のままで終わるっていうのは、こういうことなのかっていうか。
「……今日はありがとうございました」
頑張ってヘコんだ表情を表に出さず彼女は席を立つ。
「気になさらないでいいですよ。これからも機会があれば是非、お立ち寄りください」
「はい」
頭を下げて、玄関に向かう。
ユーノとフェイトも見送りのために彼女のあとについていく。
「それでは、失礼します」
「お疲れ様でした」
最後にもう一度、頭を下げた彼女にフェイトが丁寧に頭を下げて応え、ユーノが手を振る。
ドアの音が静かに鳴って、そして彼女は出ていった。
「……司書長には奥さんがいるなんて」
外に出た彼女はぶつぶつと呟く。
「しかも奥さん、すっごく良い人だったし」
ショックだったけれど、憧れる二人だった。
「やっぱり『いいな』っていい加減に思ったからいけないんだよね。突撃するなら『好きだ』って思った人にしないと」
歩きながら改めて誓う。
が、その後どうなったかは……彼女次第。
◇ ◇
「すっごく緊張したよ」
リビングに戻って一息をつく二人。
「珍しいね、君がそんなに緊張するなんて」
「それはそうだよ。だってユーノの同僚の方に無礼なことしちゃったらまずいし」
気をつけるのは当然だ。
「わ、私はユーノの奥さんなんだから、やっぱりそういうことには気をつけないと」
自分で言って、少し恥ずかしくなるフェイト。
「だから最後は僕のことも『主人』って言ってくれてたんだ」
「だって、お、奥さんになったんだから憧れるんだよ。ああいうふうにユーノのことを『夫』とか『主人』って言うの」
最初は照れていたからできなかったけれど、ユーノに「妻」だと紹介されたから、どうにか頑張ってみた。
「まあ、その気持ちは分からなくもないかな。僕もフェイトのことを『妻です』って紹介するのをやってみたかったし」
緊張はしたけれど、結婚した実感がさらに増した。
「でも、これからは何回も言ってもらうと思うよ。お偉い先生とのパーティーがあったとき、場合によっては君にも同伴してもらうときがあると思うから」
「学者さんのパーティーなのに?」
「配偶者同伴のやつも時々あるんだよ。本や論文を発表するのと同時に社交の場でもあるわけだからさ」
「あの……学者さんのパーティーでの作法なんて私、分からないんだけど」
一般的なパーティーと違っていたら、フェイトも対応のしようがない。
「大丈夫だって。その時になったら知り合いの先生に訊いておくから」
「うん、お願いね」
と、ここで先ほどの彼女に話を変える。
「それにしても真面目な子だったね」
「うん。ああいう子が入ってきてくれて嬉しいかぎりだよ」
「私もああいう人が入ってくれて良かったって思うよ。だって優秀な人だったら、ユーノの負担も減るから」
やはりフェイトの心配は、そこだ。
自分の限界以上まで頑張ることの出来るユーノだからこそ、本当に体を労わってほしい。
フェイトができるかぎりサポートするのは当然のことだけれど、ユーノ自身も少しは身体のことを考えて頑張ってほしい。
「大丈夫だよ。昔は僕以外に被害を被る人はいなかったから倒れるまで頑張ってたけど、今は君や子供達を養う立場にいるんだから、身体を壊すほどの無茶はしないって」
「私……そのときから心配してたんだけど」
「そ、それはその……ごめん」
「うん、本当にね」
フェイトが満足そうに頷く。
「と、そういえばそうだった」
ここでユーノは起きたらやろうと思っていたことをフェイトに伝える。
「フェイト、今日は休みだったよね?」
「うん、そうだよ」
「だったら久しぶりに二人で出掛けない?」
「デート?」
「そうだよ。夫婦になってから、初めてのデート。どうする?」
なんてユーノが訊いてくるものの、フェイトのことは当然ように一つだ。
「もちろん行くよ!」